これらの原則は日ごろの文章で書いていることばかりですが、
ここでまとめてみました。
わたしの「訓練主義」とはこのような考えからきています。
その1
自然状態でヒトは規律・訓練を受けつけない。
ヒトは訓練によって人になる
「ヒト」とは生物としての人間の呼び方であり、
「人」は文化をもった存在です。
訓練とは人を文化的存在にすることです。
文明社会で生きるためには文化的存在になるしかありません。
その2
目的を「才能」ではなく「能力」の訓練とする。
「能力」教育とは よりよい生き方を目指すもの
「才能」教育とは 一番を目指すもの
「才能」教育は決して人を幸せにしません
でも、必要なので否定しません。
その3
訓練は徹底した行動の分析の上で、
どのような対応が必要か、可能かを、
実行できる形で示す必要がある。
訓練は有効であるか
量が十分であるか
そして、成果に結びつくことが必要
(これには「プログラム学習」が最適です)
その4
訓練は同時に
人としての尊さ
人としての自立
を目標にしなくてはならない
オトナの訓練は知能の向上だけを目指すものではなく、
広く能力の向上を目指します。
その5
トレーニングする者は「侵襲」を意識しているか。
動機の正しさで行いを正当化しない。
だから
正当化できなくとも行う必要があれば、
正当化できない行いには、
自分の心と体で責任をもつこと。
その6
親が子どもの勉強をみる必要はありませんが、
子どもが学校や塾で何をやっているかが
わかるようになりましょう。
親がよい学びをすれば
子どもにとっての
一番大事なところがみえてきます。
餅は餅屋に任せるのが一番。
でも、任せる前に、
任せられる相手であるのか、
見極める力がいります。
※プログラム学習については
『行動分析学 プログラム学習:セルフ塾の教育論(仲松庸次)』
が実際に教材を作っている人の説明でわかりやすいです。