「掛け算順序問題」のはなし 遠山啓さんの失敗 算数を考えずに信じる人たちがいるなんて!

「掛け算順序」とは

小学校の算数の授業で

一つ分の数 × いくつ分=全体の数

という掛け算の順序を入れ替えて書いた子の答えを教師が×にして親がそれに反発しているという話です。

「子どもが6人います。みかんを4個ずつあげるには、いくついるでしょう」

この問題で6×4という式を書いた生徒に×を付けた先生がいて、生徒の親が抗議した。始まりはこれでした。

新聞報道は、1972年の朝日新聞。

これは

交換法則が成り立つことから「掛け算の順序を考えるのは数学的にはマチガイ!」なのです。

実はこの話の元を作ってしまったのは

「水道方式」の開発者である遠山啓さんなのです。

もともと遠山啓さんの意見は、どっちでもいい、というものでしたが、

それは、どっちを「1あたり分」とみることも可能だから、というものでした。

(『遠山啓著作集 数学教育論シリーズ5 量とは何かⅠ』所収「6×4、4×6論争にひそむ意味」)

遠山さんは式の理解の上で「一つ分の数 × いくつ分=全体の数」ととらえるのは合理的だという考えをもっていました。

あくまでも教える側の都合の上の話です。

そして

遠山さんだけではなく

日本の数学界ではかけ算の式では「1当たり量」を先に書くという「約束」があったようです。

森毅さんも同じようなことを言っていますから。

ところが

水道方式の広がりで

遠山さんの発言は算数教育に大きな影響を与えるようになってしまったのです。

(現在では「学習指導要領」でもそうなっているようです)

いつの間にか

本来「正しい式の順序」とはかけ算を教える上での単なる道具だったはずなのに、

教師たちの中には「合理的理由」があるからと考えるのではなく、規則らしいから「信じる」人が出てきました。

これこそ学ばない大人の姿そのものです。

確かに

小学校ではすべての(専科のあるものを除いて)一人の教員がすべてをしなければなりません。

だから大変なのです。

しかしそれならば

より高度な訓練をする

小学校免許の基本を専科制にする

など

教えるレベル上げるための真剣な取り組みが必要なのにそれがなされていません。

(大学教授が一番高度な事をやっているように誤解されています

が、実は子どもが小さいほど教員にはより高い訓練が求められます。その点では本来幼稚園教諭・保育士が最高の素養を求められるのですが、給料・立場は全く逆ですね)

しかし

いくら現状がむずかしくても

教師であればいつでも自分のレベルを上げようとする志がいります。

子供だましの考えで仕事をしている人がけっこういるのが残念です。

今はなき遠山さんも

自分の考えが真剣に取り違えされて

大学の研究者の間でも論文のやりとりがされているなど知ったら苦笑いするのでしょうか。

#「算数を教えるのに必要な数学的素養」(信州大学1993)

#「算数教育の最小限の素養とは」(信州大学 1994)

※「算数を教えるのに必要な数学的素養・読み直し」にまとめてあります。

(ただし、数のとらえ方を教育心理学で研究することを非難しているわけではありません

むしろ、どんどん盛大にたくさんの研究者にやってもらいたいと思っています。

どうも現場の人間からすると議論が地面に足がついていないと感じているだけです)

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