ヒトは訓練ではじめて人になります 自然状態ではヒトは学びません 山崎亘さんのコラムから

ヒトは訓練ではじめて人になります。

自然の状態で生活の知恵を身につけることはあるかもしれませんが

それは学びとは違ったものです。

学びは人間の歴史を通して積み重ねられたものの受け渡しが元にあります。

根気と訓練があって初めて自由に学ぶ境地になれます。

(天才は別かもしれませんが)

日本でも学ぶことに集中できない子どもたちは

まず学ぶための習慣と体力ができていない子が多いのです。

このことをわたしに確信させてくれたのが山崎さんのコラムです。

次の文章は山崎亘さんの問題集『高校入試突破 計算力トレーニング』の中のコラムです。

全文を引用することは差し控えますが核心の部分を紹介します。

「筆者はかつて青年海外協力隊に参加、西アフリカで3年間生活しました。アフリカの子どもたち相手に数学と物理の授業をしていたのです。

・・・日本の電気メーカーが、西アフリカに家電の組み立て工場を建てたことがありました。立派な工場だったのですが、半年たたずに閉鎖になりました。就業時刻になっても出社していない。生産ラインが動いているのにどこかに行ってしまう。作業説明をしようとして集めても友達と話をしている。・・・

こんな話をすると彼らは馬鹿なんだなどと思う人もいるかもしれませんが、とんでもない。自然の状態のままの人間にとって、時間を守ったり、一定時間座りつづけて人の話を聞くことは簡単なことではないのです。

・・・私たちは・・・生まれつき持っていたわけではないのです。

私のいた国の大統領が・・・パーティで・・・「理数の教科も重要だが、それ以上に座らせておくだけでもわが国の発展に寄与している」という内容の話をされました。

その話を間いたときは、よく意味がわからず、座っているだけではダメじゃないか、と思っていました。後になって工場の話を間いたとき初めて納得しました。途上国が貧困や飢餓から脱出するために産業や技術が重要なことは誰でも知っています。しかし、産業や技術を乗せるための土台としての小学校の重要性は一般にはあまり知られていないかもしれません。

彼らは自由です。大人たちもそれほど子どもたちに勉強を強制しません。医師や技術者の不足はこのことと無関係ではありません。勉強は面倒なものです。個人にとってはテストがラクちんで、簡単に医師や技術者になれるのは喜ばしいことかもしれません。しかし逆にそういう人に診察してほしいですか。そういう人に家を建ててほしいですか。」

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする