国語はすでに読む時代から書くに時代に変わっています 気づかないのは学校と教員だけ

わたしは日本語能力を高めることでの受験の合格することと
就業後の仕事を効率的に高い質で行う能力を身につけることを目指しています。
日本の受験国語では異様なほど細かな読解が中心になっています。

しかも
本文の内容が読めなくても選択肢から解答ができると言う塾教師もいます。
(センター試験では選択肢を読んでから本文を読めとさえいわれています)
わたしは常々このような出題は意味がないと考えています。

学力低下論争の元になったPISA(OECD生徒の学習到達度調査)では「読解力調査」といいながらもやっていることは「表現力調査」です。
※pisa調査 「読解力」調査といいながら実は「表現力」調査です

今、実際に求められているのは公的表現の方法とそれを確実に読み取る訓練です。
むずかしい出題で受験生をふるい落とす時代はもう終わりました。
普通(+専門)教育と高等教育を分けて
普通教育で多くの人に確実に最低限以上の訓練をする時代です。

もう、子どもに競争させて仕込む時代ではなく
オトナがよりよく生きるために学ぶ時代です。

実際、医療の専門学校の受験では大学入試と比べると判読不能の文章が出てくることが少ない。
特に医療受験では「小論文」が神経質なぐらいに取り上げられています。
(確かに「小論文」だけの入学試験のところもありますから)
読むことよりも書くことを重視していると考えられます。

難しい文章ではなく読解問題が文を書く訓練でカバーできる範囲の出題だということは大変いいことなのですが

しかし
本当に「小論文」を書かせることで有効な訓練がされているかどうかは疑問に思っています。

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