覚えるためではなく分かるためには いろんな子がいたほうがいいのです

報道によると学校の様々な課題を解決につなげた実践を表彰する「NITS大賞」というものがあるそうです。

主催は教員研修を手がける独立行政法人・教職員支援機構(NITS)です。

今回の大賞のうちの一つに

学年が違った子ども同士が一緒に学び合ったことが受賞しました。(滋賀県彦根市立の小学校です)

普通、学校で学ぶときには同じレベルの子たちを集めた方が効率がいいのは常識とされています。

確かに一斉に授業するときは一人一人の子の差が小さいほど手間がかかりません。

当然

年が違った子が一緒に学ぶというのはなおさら効率がわるくなるわけです。

子どもの数が少ない小学校・分校では仕方なくやっているところがあります。

でも、常識が常識なのは

実は、条件によりけりなのです。

たしかに覚えさせるためにはレベルが同じ子を集めた方がやりやすい。

しかし

分かったかどうかはレベルが違う子同士がいるほうがはっきり分かるのです。

自分が分かっているかどうか確かめるためには

分からない子に教えてみるのが一番効果的なやり方です。

相手の子が説明を受け付けてくれれば自分が分かっていることが間違いなく確認できます。

かつて(確か1970~80年代です)

外国の教育関係者が日本の学校の授業を見たときに

子どもたちを(それをさせた教員も)絶賛したという話を聞きました。

教員が説明した後で

子ども同士が互いに教え始めたという話です。

たいていの国では学ぶことは個人的な営みです。

わかった子がわからないに子に教えるなどということはありません。

いかに「アクティブ・ラーンニング」と言ったところで

それらの国では

教えるのは教師の仕事

教わるのは子どもの仕事なのです。

このあり方は欧米にはない日本独特の真理観から生まれています。

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