母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

投稿者: k.takahiro

  • なぜ、有料で合格報酬なのか(5)

    あなたのために2

    学ぶ真剣さはどこから生まれるか。
    ただより高いものはないからです。一見無料はよさそうに見えますが、人は金を支払うことで真剣になるものです。苦心して金策すればなおさらです。世の中では公立学校はいいかげんで私学や塾はよくやっているように言う人が多いようです。例えば受験予備校の講師はすばらしそうに言われますが、サテライト放送やテキストを見ると公立学校の教員がすべてで全く劣っているとも思えません。それで、思い当たるのは教師の質よりも有料であることからくる真剣さがまず違うことです。有料だと思えば授業中何もしなかったり騒いだりすることはしないでしょう。元が取れる保証があるかぎり有料は決して良くないわけではありません。
    ですから、今は元が取れる資格に限って事業をやっています。

  • なぜ、有料で合格報酬なのか(4)

    あなたのために1

    自立のために人生の挑戦しようとするあなたへの敬意からです。

    私が税金からの補助金を求めることを考えない理由として、まず、補助金のいかがわしさがあります。
    保育所・老人施設は事業計画さえまっとうに見えれば、補助金・銀行貸付が手に入ります。金が湧いてくるのです。
    その中にはかなりいいかげんなものもあります。事件になって始めて、それ本当?と思うようなことがよく起こっています。
    きびしいですが、税金を使う以上まっとうなのが当たり前です。
    それ以前に、本来は公営が基本のことを補助金でつってやらせていることがおかしい。

    生活保護が攻撃されるワケ
    そんないかがわしさに比べて、生活保護は「困っているときは相身互い」のはず。なのに何んで目が冷たい。
    生活保護制度は生活自立を助けるための制度なのに、確実に自立を助けるしくみがない。
    税金で生活しているとやり玉に挙げるわりには本気で監督する気がない。
    本人が努力しようとするほど泥沼にはまってしまう。それなのに、自立しないのは本人の責任にされる。
    そこで、きびしいところで耐えて歯を食いしばって生きている人がいます。
    生活保護の生活以下なのに自分をきびしい現実に耐えさせているのはプライドだけ。だから、他人の「あまえ?」を認めることは自分の否定につながる。本当は他人がどうかなど関係ない。が、認めれば自分の心が折れてしまう。
    でも、他人を攻撃しないと自分を認められないとは悲しいことです。
    私は、後ろめたさを強いられても生きるために自分の身を屈している子も、歯を食いしばって生きている子も、どちらもいとおしくたまりません。

    私はほどこしなどしません。だから、有料です。名ばかりの有料にもしません。これはあなたに対する敬意です。
    ただ、成果が出なくても支払いしなくてはならないのでは不安が残り挑戦できません。
    あなたに求めるのは当たり前のことです。私はがんばることを目的にしていません。
    成果を出すために道理にしたがい、根気はいるが一番たやすい努力を求めるだけです。
    成果がでないのは私の責任です。ですから、成果に対する支払いだけを求めます。

  • なぜ、有料で合格報酬なのか(3)

    私は人として対等の関係を求めます。
    そのために私はあなたに雇われます。その関係はちょうどプロテニスの個人コーチを頭に浮かべてもらえばいいと思います。

    日本には平等がありません。有名な福沢諭吉のことばは「天賦人権論=人間は生まれながら平等である」を主張したものではありません。
    「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず『と云へり』」(と云えり=~だそうだ)と言っています。
    平等は誰かがくれるものではありません。自分で手に入れるのでなければ誰も保証してくれません。
    施されるのは対等の関係の否定です。「支援がもたらす贈与の負債」という考え方があるそうです。
    これは「一見困っている人を助けるのは良いことにみえるが、実は相手に負い目を持たせるもの」だということです。
    特に、ただで与えることは相手との上下関係を作ってしまうことになります。

    日本の社会で重大な問題になっている「日本型パワーハラスメント」「長時間労働」の根は日本には平等がないことからきています。職場の上下、役割の上下は人間としての上下ではありません。ところが、日本では職場や役割を離れても上下関係から離れることができません。法律・規則を作っても人間は仕事・役割を離れれば平等であるということが当たり前にならなければ、このようなことがらは解決できないだろうと私は考えています。だから、金で雇われた平等な契約関係という考え方は大事なのです。

    もっといやらしい上下関係というものがります。
    自分が尊いのは相手よりも道徳的に高いからだという考え方です。道徳的にどうかは信頼関係であり上下関係とは別の事です。
    しかし、道徳的な上下を手段に使えば自分はいつも相手より高い立場にいることができます。
    逆のいい方をすれば自分の立場より劣る者は道徳も劣っていることになります。

    私の文明に対する考え方は「信義」が基本にあります。「信義」のない文明を文明と呼ぶのにはふさわしいと思えません。いってみれば法に触れないかぎりどんな方法を使っても財産を作った者が勝ちだという社会には住みたくありません。
    でも、信義は0か1ではありません。0なら当然なしですが、1~100の幅があると思います。1でもそれなりの信義を守ろうとした結果かもしれません。その中で誠実に生きる努力をするのが人間だと思っています。

  • なぜ、有料で合格報酬なのか(2)

    私の理由2
    わたしはみなさん全員を合格させることをたやすいことだと思っていませんが、不可能なことだとも思っていません。国家試験受験資格が取れる学校に入学すればいいわけで、特に学校を選ばなければ入学が無理だとは思っていません。ただし、試験は水ものですから絶対はないと考えています。それでも合格しないということはわたしの力不足だと思っています。だから、成果がなければ報酬はなしと考えています。

  • なぜ、有料で合格報酬なのか(1)

    理由は一つだけではないので順を追って話しましょう
    まず、私の方からの理由です。
    公益事業として考えているので、税金からの補助金や寄付で無料かごく安く費用を抑えることも頭に浮かびました。
    でも、それは最初から否定しました。
    公益事業としてマイクロビジネス・ガレージスクールが成り立たないか試したいからです。それは多くの人たちの先駆けになると考えているからです。
    同時に補助金のいかがわしさも感じています。まっとうな補助金でも税金でやるかぎりは集めるためにも使うためにも費用がかかるのです。
    それで、公益と採算のバランス、そしてあなたと対等であるためにも有料で合格報酬延べ払いという線が浮かびました。
    オトナは子どもと違って夢を買うために金を払うことはできないからです。

    公益事業としての「マイクロビジネス」
    それは、ある程度経験・能力を持っていて、ささやかな財産や年金に加えていくらかの収入があれば暮らせる人が、人の役に立つ仕事ができないかという事です。
    税金からの補助金や寄付を求めない、自分の生活資金を取り崩さないということを、基本に有料の公益事業を目指しています。
    日本では。まず組織を守ることが優先させられます。これを破れば居場所がなくなります。
    自分の信念や目標を持っていても、日本の組織では合理的な目的を実現するよりも、不合理であっても組織の目的に合せさせれられることが多いのです。特に日本ではこのようなことが普通なのは、本来の意味での「平等」というものがないことから来ているからなのですが。
    組織の不合理に納得のいかない者は自分の信念や目標を実現するためには独立が必要になります。
    決して、少なくない人たちが普通に生活できるならば金もうけよりも自分の能力を他の人のために生かしたいと考えています。

    「ガレージスクール」とは
    日本の教育の世界では人を育てるよりも教育産業を育てるほうが優先されています。
    そのため、無意味な競争や親のプライドをくすぐる教育のブランド化が進んでいます。
    争ってまで人の上に立ちたくない、地道に能力をつけ自立した人は生きにくい時代になっています。
    もともとの普通教育は、「才能」ではなく「能力」を高めることで自立を実現することを目標にしています。
    本来の公教育が行うことを小さな規模でオトナに提供するのが「ガレージスクール」の考え方です。