☆高等教育と普通教育は全く違ったもの
高等教育と普通教育は全く違ったものです。他に専門教育と高等専門(実務)教育というものがあります。専門教育は職業教育です。
このことを知らずに教育に対する議論をすることには意味がないのです。
日本と欧米では全く教育に対するあり方が違うのです。
お互いに自分の常識に囚われ過ぎて、互の考えていることが自分と違っていることに気がつけないのです。そこに誤解が生まれます。
日本では義務教育という呼び方をするので普通教育という言葉を知らない人が多いです。
しかし、義務教育という考え方はほぼ日本にしかありません。(CHINAと韓国は呼び方は義務教育になっていますが実態は日本と全く違います。)
これは多数の国では子どもに国の定めた教育を受けさせる義務がないからです。教育を受けることは国民の権利だとされているからです。国が国民の教育を受ける権利の受け皿として用意するのが普通教育です。
☆教育を受ける権利とはどのようなことをさしているのか。また、高等教育と普通教育の決定的な違いとは。
普通教育の目的は能力を伸ばすことを目標にしています。それに対して高等教育は才能を伸ばすことを目的にしています。
とりようによっては水と油の関係といっていいかもしれません。
能力を伸ばす → 普通に生活し、働くために必要なものを学ぶこと
才能を伸ばす → 他の人とは違った特別な力を伸ばすこと
この二つはもともと起源が違うものなのです。
高等教育は人間の身分に上下ができた時から始まりました。まず、上に立つ者は統治する能力を持つ必要があります。帝王教育といういい方をする人もいます。その後社会が複雑になるにつれて有能な人材がたくさん必要になりました。それで、大学という形をとっていったわけです。ですから何千年もの歴史があります。ヨーロッパではほぼ「大学=高等教育」といっていいと思います。合衆国の教育制度は制度がない制度という特殊なもので機会があれば説明したいと思います。
それに対し普通教育はフランス革命の主張である人民主権を担う国民を育てるための教育として始まりました。その後、他の国が産業や軍事の発展のために基礎的な教育が役立つことを知り、世界中に広まっていったわけです。
ですから、この二つは出発地点から全く違ったものです。
よく合衆国で日本の小学生の年齢の子どもが大学で学んでいる話を聞きますが、もともと、別の系統のものだからそんなことができるのです。ですから、特に欧州の学校制度では最初に高等教育のコースに乗れなかったために、普通教育の後に高等教育を目指すことはあっても、普通教育の上に高等教育があるわけではありません。一般の人は出世を求めない限り高等教育を目指さないのは当たり前なのです。そして技術者を育てるために始まったのが専門教育です。昔の欧州では技術教育は専門教育だったのですが、20世紀になって高等専門教育は高等教育の扱いを受けるようになりました。
よく誤解がありますが、医学教育は高等教育ではなく高等専門教育です。医学研究者養成は高等教育ですが医師養成は高いレベルではありますが技術教育です。秀才が集まることで有名な合衆国のロースクールやビジネススクールも高等実務教育です。
本来の高等教育は才能を伸ばすために少ない学生を多くの教員で相手するもので、もともと効率を求めるものではなく、単価が高いものなのです。ですから、すべての人を相手にすることはできないし、また、才能がある者を相手にしなければ高等教育の意味がないのです。
このような話を書いているのは、日本の事情だけで、自分たちの世界だけで、教育一般を議論することの無意味さをわかってもらいたいからです。私は専門教育を受ける人のために手助けをしていますが、特にわかってほしいのは日本の大学で高等教育に値する所はごくわずかなのです。実態の伴わない大学という名前をありがたがるのではなく、レベルの高い専門教育に誇りを持ってほしいということなのです。