新年に当たって 気づかれない「やさしい差別」 わたしが求めるのは対等です

新年おめでとうございます

昨年は新コロナウイルス流行のために

気が滅入るような暮らし

それだけではなく

仕事さえ失って明日の見通しさえ立たない人もいると思います。

多くの人が生きるのに精一杯

どころか

先の見通しも立たないこの時勢の中で

母親・ひとり親の多くは

「子どものために家族のために生きるのが当然だ…

きっと、大変だから無理はしない方がいい…

母親は子どもさえ育てればいい…

子どものことを考えないのか…

寂しい思いをさせるのか…」

などと言う言葉をかけられます。

たくさんの人が仕事にあぶれている現状ではなおさらのことかもしれません。

言っている人には悪気はないのかもしれませんが

その結果

あなたは自分で自分のことが決められない

「なにもできない、無力な人」に仕立て上げられています。

人には相手のことを「支配したいという欲求」があります。

それを意識している人

無意識に行っている人の違いはあります。

でも

わたしはここに差別の本質をみます。

差別とは決して「悪意」からだけ生み出されるものではありません。

「善意」からだって生み出されます。

どちらにせよ

その方が相手をするためには便利だからです。

自分も善意で一生懸命世話しているんだから

「なにもできない人」は文句を言わずに従えということです。

人は人である所以は「自分の意志」にあります。

突き詰めた例を考えると

介護施設での生活では

どのようにていねいに扱われていても

たいていは保護される「無力な人」の扱いを受けます。

マニュアルにないことはすべて許可を求める必要があり

人として最低の楽しみさえ奪われることが普通です。

わたしは介護を受けないと生活できない人でも

「“できること”を取り上げ」たくない。

「なにもできない、無力な人」でいてほしくないのです。

「私たちから“できること”を取り上げないでほしい」 大の大人を哀れな子供扱いする「やさしい差別」

https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12600742478.html

自分が無力だと思ったときに人は生きる力を奪われてしまいます。

だから

「できること」だけでもやっているうちは自分の人生を生きていくことができます。

人間は善意のうちに差別をする 《書評》森田洋之・加藤忠相 著『あおいけあ流 介護の世界』

https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12502064161.html

※「認知症の私が認知症の相談にのってみたら…」(NHK 2020/12/17)

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4497/

わたしは「母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助け」業というのをやっています。

これは自立したいが一人で悩んでいる母親ひとり親のために役に立ちたいと考えたところから始めました。

でも

なかなか踏み切れる人はいませんね。

子どもかかえて学校に行って訓練を受けるなんて大変に決まっているじゃないですか。

思い浮かぶのは学資、通っている間の生活費、子どものことなど

これがどうにかできないとどうしようもありません。

ここまで考えるだけで頭がクラクラしてくるでしょうね。

その上ではじめて受験勉強の心配です。

わたしが仕事で求めること

「対等」であること

「ほどこさない」こと。

それがわたしのあなたとのベストの関係だと考えるからです。

何よりも

これから立ち塞がるだろう困難に出会っても

あなたに自分の両足でしっかり歩いてもらいたいからです。

大分迷いましたが

有料でなければならないと決めました。

理由はたくさんあります。

私が手助けを有料で合格報酬でするワケ

https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12511365595.html

わたしができるのは「手助け」です。

といよりも手助けしかできません。

やるのはあなたです。

それでも

今まで見えなかった壁の向こう側も

人の背に乗ればはっきり見ることができます。

マッテイルダケデハ ナニモカワラナイ

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