母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

投稿者: k.takahiro

  • 理解するとは#4 公的表現の方法

    ここまであえて「コミュニケーション」という言葉を使わなかったのは日本語での語感がもとの言葉とイメージがちがうからです。
    もともとの意味は「兵站線(へいたんせん)」のことです。「兵站」とは軍隊を支える補給などの裏方のことを言い、「兵站線」とは兵站を支えるしくみのことを言います。戦争の勝敗、つまり人の生き死にを決める大事な技術・しくみを指します。そこから、今使われているような意味が生まれてきたのです。communicationには人生の勝敗を決める道具としての語感があると思います。
    自分の人生を決める意味でのコミュニケーションに必要な技術の訓練は「話すことよりも読むこと」「読むよりも書くこと」が優先になります。話すことは一番精度が低いのでより精密なことを優先すればいいのです。だいたいスピーチでもきちんとしたければ原稿を書くものです。
    今の国語教育では自分が何を伝えるかよりも人の考えを読み解く方を優先しています。人の話をよく聞きなさいといいますが、いったいの何のために人の話を聞くのでしょうか、自分が主張するために人の話を聞けるようになることが本当に人の話を聞くことではないでしょうか。「正しい読み方?」というものがあり、その子が文を読む目的を持つことを二の次にして、正しい読み方を追求してきたことが国語教育の最大の害です。わかることを拒否するような文章を解読することが文章を読む能力を高めることではないのです。そんなひとりよがりの文章が通じるのは象牙の塔か、ふるい落としのための入学試験だけです。より高いレベルで書くことは書く力だけではなく、本当の意味での読む力を育てます。
    実際、大学入試問題では本文の内容がわからなくても正解を解答する技術があります。そんな試験で選抜してきた結果が現在の日本の幹部たちの非効率な仕事の仕方なのです。簡単なことをむずかしく書いて見栄をはり、それを読ませる時代は終わりました。

    書く技術の基本は「①言葉(概念)」を増やす、「②論理(すじみち)」、「③書く形」の訓練。さらに「④数言語(数学)」「⑤外国語」の学びでの上達の裏打ちです。私はこれらの訓練のためのプログラムを開発しています。受験のための日本語訓練ではなく、日本語能力を高めることでの受験対応、就業後の仕事を効率的に高い質で行う能力を身につけることを目指しています。

    ①言葉はまず観念として存在します。伝えるための道具としては精密な「概念」に高める必要があります。そのためには言葉の数を増やすだけではなく、言葉の「対比」「同義」「包括」といった訓練が必要になります。
    ②④⑤論理の基礎は「事実」と「推測」の違いから始まり、ユニット(単位)としての短文表現の練習をします。次に短文を文に構成する論理の展開(導出)の仕方に進みます。文が構成できるようになったら、今度は自分の文章が読まれるものとしてより精度の高い文にするための検討の技術を身につけます。そのときに「数言語(数学)」の能力が上達を助けてくれます。特に現代数学の基本である「集合と確率」という考え方は正確な文を書くときの手段になります。自分の姿は鏡でしか見えないように本当の日本語の姿は外国語を通してしか見えてきません。日本語の能力を広く高くするためには外国語の学びは大切なものです。
    ③公的表現の目的は文学作品を書くことではありません。私は教育や訓練の場で文学作品がいらないとは言いません。しかし、文学作品は共感を強制する手段でも、試験の問題に使うものでもありません。このようなことはむしろ作品の価値を低くするものだと思います。生徒教師であっても教える教えられるというかかわりではなく同じ読者として読むのが自然な読み方です。
    私が目指すのはお互いに主張する、意見を交わすための文章です。今までの研究の結果、フランス式の論文技術が一番その目的に合っているという結論になりました。足かけ5年ほどの研究で中高生・オトナのためにフランス式論文技術を日本語の性質に合わせ移植したトレーニング技術を開発しました。

  • 理解するとは#3 意思を伝える「方法」と「内容」

    まず、伝えるということは観念をコトバに託したキャッチボールをいいます。
    観念とは自分の頭の中にある思いです。それをコトバという枠で切り取って相手に投げます。すると受けとった相手はコトバの枠から自分の経験や知識を参考に自分なりに解読します。この繰り返しとなります。

    先にもいいましたが、日常生活で言葉が通じている理由は皮肉なことに言葉がいいかげんだからです。普段の生活ではなんとなく、なあなあでもお互いが納得すれば何の問題もないわけです。共通の経験がお互いの意思を読み取ります。コトバのキャッチボールは理解ではなく了解なのです。不都合が起きてはじめて問題になるのです。ところが、事が重大になるとごめんではすまなくなります。自分の思い込みを越えて伝える方法が必要になります。

    意思を伝える「方法」には次の二つがあります。
    a 論理的合理的なものを基礎にする
    b 感情でつながる

    aで、伝える正確さを上げるためには観念をより共通度が高い概念に高め、伝える形式を整えることが必要です。「観念」とはその人の思い込み(自分勝手であろうが、より広い立場であろうが)と考えてください。それに対して「概念」とは観念と比べて、より共通でより詳しくぶれが少なくなるように決められた考えを指します。
    共通の議論をするためには「概念」を身につける必要があります。そのために学びが必要なのです。

    b 感情に訴え共感の幅を広げる。これは同じ言葉・文化で生きている者同士であれば自然に起こることです。これを忖度(そんたく)と言います。(もともと「忖度」は相手の気持ちを推し量って思いやることです)でも、忖度は自然に起きるわけではありません。共通の感情を持つためには訓練がいります。昔は近所・親類の付き合いで教えるものでしたが、現在ではその習慣も減りました。そのため学校教育の大きな目的の一つになっています。特に国語教育の主流である「文学主義」(=文学作品を通して相手を思いやる練習をする)は忖度の練習と言ってもよいでしょう。

    さらに伝える「内容」として次の二つがあります。
    α 公的表現
    β 私的表現

    当然、公教育で優先して身につけるべきものは公的表現のはずです。「公」教育なのですから。
    今までの国語教育では公的表現の基礎は共感技術だと考えられてきました。そのため、自分の意思を他人に伝える技術が追求されることは置き去りにされてきました。
    相手に内容を伝えるためには、今ここでの説明だけではなく、背景にあるものの了解から始めないと話そのものが受け取れません。つまり、主張の根拠を示す訓練とそこから理屈を導く訓練が必要なのです。
    厳しく言えば他の国では、自分の考えをわからないのはわからないお前が悪いという発想で相手が屈服するまで主張することが当たり前になります。それに対して、日本では相手の気持ちをよむことで解決しようとするのです。
    お互いが主張を取り下げないから、ここで初めて本当の公的表現の必要が生まれます。
    これは人の平等とも深くかかわっているのです。たてまえだけでも人が平等であれば問題解決には、筋道での主張が必要になるのです。忖度には必ず上下関係が含まれます。

    日本の国語教育には私的表現と公的表現がちがうものと考え、公的表現の正確さを求める考えがありません。この分け方がないので感情の共有を理解と考え、理解し合えるという思い込み、言い換えれば思い込みの強制が起こります。
    「共感」「共通の生活」「共通のあり方」これが実用的な価値としてのこれまでの国語教育の到達点でした。しかし、これは「閉鎖的」「排他的」「形にはまった」「強制」「あいまいさ」といったような多くの問題点を生んでいます。問題点は外の人に対するものだけではなく、言語がうまく働かないことからくる作業の非効率でわれわれを苦しめています。「事務・実務の非効率」「長時間労働の原因」「日本の生産性の低さ」は日本語の実用言語技術が低いから起こっていることです。
    日本型「いじめ」も根は日本語(社会)環境にあると考えられます。欧米では子どものトラブルは暴力型が多いのですが、日本ではいやがらせ型が多いのです。(英文では日本で言う「いじめ」を指す言葉はないようです)暴力はいじめではなく暴力です。

  • 少しの勇気と行動があなたと子どもの未来を変える

     

    あなたは日ごろ自分のため子どものために精一杯努力しています。

    ひとり親だとパートでダブルワークをしても生活は楽ではありません。

    夫婦で働いても子どもに十分なことをしてやるのは難しいことです。

    子どもの貧困をなくす方法は一つだけではありません。

    しかし、子どもが貧困にならないためには必ず必要なものがあります。

     

    私の事業の目的は母親ひとり親が自立し、子どもの貧困をなくすための条件を作ることです。そのために母親ひとり親が学校に通い自立できる資格を取るための手助けを有料で行います。事業の中心は「受験トレーニング」「学費・生活費の相談」からなっています。母親ひとり親でなくとも自立のために学びたいおとなは大歓迎です。
    貧困って金や物がないことじゃないの?  

    「 貧困とは形のない大切なものを失い、将来を見失うこと。」

    それは物や金がないことではなく、あきらめから、気力や自律の習慣といった「形のない財産」が失われることです。それがない人は不運に会うと簡単に心が折れてしまいます。心が折れると物や金があっても再起できません。一度貧困のサイクルに捕らわれると、抜け出すことが難しいのはそのためです。

    子どもの貧困をなくす確実な方法は親が学ぶことです  

    ではどうやったら「形のない財産」は手に入るのでしょうか。

    まず、志を持つこと、そして将来の見通しを持ち、日々の習慣を作ることです。子どもは必ず親の姿を見ています。親の姿ほど雄弁ものはありません。親が学べば子どもは学ぶことは当たり前のことだと感じます。

    しかし、日本では特別な専門家を除けばおとなになってから学ぶという考えがありません。特に一度レールに乗り損ねた者には敗者復活の機会が難しい現実があります。

    でも、今さら挑戦するのには不安が  

    あなたの不安を軽くし、自立の手助けをするため私は事業を始めました。資金・受験の心配が減るだけで大分気持ちが楽になるはずです。

    金で自由を買うことはできませんが、金がなければ自由はありません。これが現実です。もし今十分に稼げないために、心ならずも自分を殺して生きている人は、稼げないことを理由に人生をあきらめてほしくないのです。

    まず、稼ぐ力を身につけましょう。稼げることがあなたを変えます。今まであきらめていたこと、挑戦できなかったことができるようになればあなたと子どもの可能性が広がります。

    私ができること  

    私があなたのかかえていることがらをすべて解決できるなどとは思っていません。あなたの課題はあなたしか解決できません。でも、受験トレーニング・学資相談といったことで、あなたが自立するための条件を作る手助けすることができます。自立したいあなたの背中を一押しするのが私の仕事です。 

    私の事業の柱 ・・・ すべてはあなたの自立のために ・・・
          私の事業の特徴は次の三つです。  

    合格報酬制

    報酬は総額36万円です。成果がなければ支払いは求めせん。一度に全額支払いも求めません。支払い方は相談で決めます。

    教材費は合格報酬に含まれます。負担は交通費・雑費などだけです。

    受験トレーニング基礎を中心に

    試験に合格するのが目的ですが、基礎力を上げ、入学後に必要な力をつけることを重視します。

    家事をしなくてはならないあなたにとって手際よく学ぶ訓練は入学後も自分を助けます。

    学資・生活費の相談

    学資・入学後の生活費の相談は無料です。

    特にひとり親には公的な支援制度があります。

    奨学金制度の知識があれば有利に修学することができます。

    医療の資格を取ろう  

    努力とまじめさだけで取ることができ、安定した生活ができる資格は医療分野だけです。勤め先・住むところが変ってもどこでも通用します。

    ただし、資金に余裕のない人が通えるのは学資が手に入りやすい看護学校だけです。特に女子にとっては圧倒的に有利な分野です。

    看護師というと病院・医院勤務(ほぼ90%)の印象がつよいですが、だんだんと看護師資格を基本資格にしたいろいろな分野(看護職)、いろいろな種類の働き方ができる場所ができています。これからは資格さえとれば自分の生活にあわせた働き方もできるようになります。

    わたしにもできますか  

    正規の女子就業者のうち医療の資格で働いている人は10%を少し越えるくらいです。そのうちの90%程度が看護職です。(看護職は8~9割が女子正規就業者と推定)正規非正規を合せた全女子就業者の約20人に1人が医療分野の資格で働いています。みなさんの印象と違って特別な仕事ではない普通の仕事であることがわかると思います。

    ただし、特別な仕事ではありませんが、特別な訓練が必要な仕事です。努力は必要ですが真剣に行えば決して難しいものではありません。看護職の仕事が大変というよりはどんな仕事でも真剣に働けば楽な仕事などありません。今パートのダブルワークで生活している人は2/3の時間の働きで2倍の収入があると考えてもらえばよいでしょう

    自立するとは頼ること  

    意外なことですが、よく自立できる人はよく人に頼ることができる人です。一見誰にも頼らない人は自立しているように見えますが、実は不安で人の力を借りることができないのです。不安は人の心を縛ります。世の中では自分の不安から本当は助け合わないといけないはずの同じ立場の人を攻撃する人も少なくないのです。

    人に頼りきるのはいけませんが、自分の力を発揮するためには上手に人に頼って、不安を軽くすることが大事です。

    がんばることを目的にしない  

    私はトレーニングでは「がんばる」という言葉は使いません。「がんばる」はいいわけや自分に言い聞かせるために使われることが多いのです。だから、「がんばる」を連呼する人はたいてい何をどうがんばるのかと聞くと答えに詰まります。求めることはトレーニングが有効であること、分量が十分であること、それが成果に結びつくことです。

    なぜ、このような事業を思い立ったのか  

    条件があなたに有利すぎると考える人もいると思うので、事業を思い立った理由を説明します。

    第一に、これまでの仕事を通じて30年間私なりに考えてきたこと。子どもの貧困をなくすための結論を実行するためです。有料の公益事業として考えています。

    第二に、イギリスには国の制度としての有料職業訓練会社があります。そこからアイデアをもらいました。有料の事業として成り立たせ、起業を考える人のための一つの形を作りたいのです。

    なぜ、合格報酬制なのか  

    第一に、不合格でも支払いを求められるというのでは安心して挑戦できません。あなたの挑戦の機会を作ります。

    第二に、補助金や寄付で無料にすることも考えましたが、最低限の採算事業として成り立たせたいと考えています。

    第三に、ただより高いものはないからです。現在のところ公的な無料職業訓練はあまりうまくいっていないようです。有料であることであなたも私も真剣に取り組むことができます。

    第四に、お互いに対等なビジネスとしてやっていきたいからです。

          行動するのはあなたです

     

  • 論文は起承転結で書いてはいけない。

    論文は起承転結で書いてはいけない。
    それは文学(作詩)の作法だからです。
    論文とは公的な発言の方法です。
    筋道を追うことを考えれば起承転結は非常にまずい方法です。
    では、なぜそんな習慣があったのか。
    日本の国語教育は文学教育です。
    日本では言語教育を文学教育で行う理由がありました。
    文学教育は共感を身につけるものだからです。

    人が伝え合う方法は二つあります。
    ①論理(筋道)で伝える。
    ②感情を分け合う。
    習慣や言葉が近い者たちが暮らす日本では②が有効です。
    ただ、残念ながら感情を分け合うことは感情の強制も意味します。
    共通でなければ伝わらないからです。
    その結果、国語教育は共感を分け合う文学教育となります。(まさに忖度です)
    そして、感情を分け合うためには感情にも正解を求めます。
    これが読解問題に正解を求める理由です。
    そんなわけで、公的な発言の書き方教育がありません。
    結果、日本では「私(わたくし)→感情」と「公(おおやけ)」の区別がつきにくいのです。
    「炎上」と言う感情での攻撃の現象もその結果だと考えられます。

    しかし、
    習慣や言葉が離れた者たちがいっしょに暮らすところでは②は役にたちません。
    感情を分け合う習慣がないからです。
    たいていの国では違った言語、習慣の人々同士が暮らしているのが普通です。
    そこで普通に公的な発言の訓練が必要となります。
    お国の政策では日本も近い将来、普通の国になるしかありません。

    ただし、私は文学教育を否定するものではありません。
    もともと、言語は「公と私」→「論理と感情」からできています。
    その両方ともあるのが普通です。
    しかし、日本では「公」の部分の言語教育が欠けていたことがまずいのです。
    ですから、まず急ぐのは「公の表現」の訓練の方法を研究をして、実行することです。
    さらに、はっきり役割がわかった上で文学教育の方法を組み立てることです。
    それで、効果があり、日本語の真髄も伝える事ができる言語教育ができます。

  • ことばを学ぶ、ことばで学ぶ -トレーニング方法について-

    教育は「普通教育」「専門教育」「高等教育」「高等専門教育」に分ける事ができます。
    私の考えは詳しくは「高等教育と普通教育」を見てください。
    ここでは普通教育の話をします。
    普通教育とは言葉を学び、言葉を通して学ぶこと。
    学ぶ言葉は三種類。
    ①母語(生まれながら話している言葉)
    ②外国語
    ③数言語(数学)

    さらに、その応用として
    a科学
    b社会の知識(法律・習慣・マニュアルの理解・・・)
    c技術
    があります。

    ◎何を学ぶのか
    ①母語
    自分の頭に浮かんだイメージ(観念)を元に自分の意思や感情をまわりと伝え合う能力を上げるためです。より正確に伝え合うためには観念を概念(共通のイメージ)に変える力が必要です。
    ②外国語
    その言葉を使っている人と伝え合うためですが、それ以上に母語の能力を上げることができます。母語だけでは気づかないことに気づくことができるという利点があります。
    ③数言語
    言葉を上達させることとは、自分だけの観念を共通の概念に高め、それによって伝え合う能力を上げることです。
    数言語は純粋な概念だけでできあがった言葉です。概念は純度があがるほど言葉が正確になっていきます。
    数言語を上達させるということはより高度な伝え合う能力を手に入れる訓練です。

    ①~③を上達させることでa~cの力を効率よく高めることができます。
    そのためには次のような基本トレーニングを考えています。
    基本トレーニングは共通ですが、その後は一人一人に合せてメニューを作ります。

    ◎基本トレーング
    ①母語 論文を書く力。書く力を中心にトレーニングします。難問を解く力は求めません。普通の文章であれば正しく文章を読む力は書くことで身につきます。さらに、近い将来、受け身で他人の文章を理解する時代は終わります。自分が何をどのように主張するかという時代に変わります。
    ◆福島式を基本にトレーニングをして、終了後フランススタイルで論文を書くトレーニングをします。その上で読解問題を解きます。

    ②外国語 言葉とは合理的ですが論理的でありません。言い換えれば、言葉には成り立たせている理屈がありますが、規則でできているわけではありません。つまり、母語を使うことと外国語を使うことの違いは、母語は間違っても母語らしく間違い、外国語で間違う時にはおかしな間違い方をするということです。変ないい方ですが、まちがっても母語、正しくても外国語だということです。ですから、外国語を学ぶには場数を踏んで慣れるしかありません。ただし、目的は学校の試験に通ることですから、受ける入学試験の範囲で慣れることをします。
    ◆一番よい慣れる方法は体感することです。まず、体感するためにフォニックス、リズム音読をやります。終了後に、その人に応じた文法の基礎、次に簡単な英文をたくさん読みます。英文の感覚に慣れたら、入学試験問題を解きます。
    ③数言語 数学の基礎をやり、数のしくみに慣れてもらいます。同時に基本計算を通して数の扱いに慣れてもらいます。その後で入学試験問題で解き方トレーニングをします。
    ◆数学の根元の考え方、なぜそうなるか、疑問に答える中で、インド式計算、平方根、累乗、文字式の計算に慣れていきます。さらに、一次・二次方程式、関数、三角比、確率を中心に学び、その上で入試問題に取り組みます。

    ※以上の内容は看護学校の受験(高卒)を中心に考えています。準看護学校は中学卒の受験条件なので、内容・科目数が違いますので、基本トレーニングは①国語は同じ、②英語もほぼ同じ、③数学は基本は同じですが、科目内容は大分変わります。理科・社会も入学試験にはありますが、対応します。

    ◎何を学ぶのか
    ①母語
    自分の頭に浮かんだイメージ(観念)を元に自分の意思や感情をまわりと伝え合う能力を上げるためです。より正確に伝え合うためには観念を概念(共通のイメージ)に変える力が必要です。
    ②外国語
    その言葉を使っている人と伝え合うためですが、それ以上に母語の能力を上げることができます。母語だけでは気づかないことに気づくことができるという利点があります。
    ③数言語
    言葉を上達させることとは、自分だけの観念を共通の概念に高め、それによって伝え合う能力を上げることです。
    数言語は純粋な概念だけでできあがった言葉です。概念は純度があがるほど言葉が正確になっていきます。
    数言語を上達させるということはより高度な伝え合う能力を手に入れる訓練です。

    ①~③を上達させることでa~cの力を効率よく高めることができます。
    そのためには次のような基本トレーニングを考えています。
    基本トレーニングは共通ですが、その後は一人一人に合せてメニューを作ります。

    ◎基本トレーング
    ①母語 論文を書く力。書く力を中心にトレーニングします。難問を解く力は求めません。普通の文章であれば正しく文章を読む力は書くことで身につきます。さらに、近い将来、受け身で他人の文章を理解する時代は終わります。自分が何をどのように主張するかという時代に変わります。
    ◆福島式を基本にトレーニングをして、終了後フランススタイルで論文を書くトレーニングをします。その上で読解問題を解きます。

    ②外国語 言葉とは合理的ですが論理的でありません。言い換えれば、言葉には成り立たせている理屈がありますが、規則でできているわけではありません。つまり、母語を使うことと外国語を使うことの違いは、母語は間違っても母語らしく間違い、外国語で間違う時にはおかしな間違い方をするということです。変ないい方ですが、まちがっても母語、正しくても外国語だということです。ですから、外国語を学ぶには場数を踏んで慣れるしかありません。ただし、目的は学校の試験に通ることですから、受ける入学試験の範囲で慣れることをします。
    ◆一番よい慣れる方法は体感することです。まず、体感するためにフォニックス、リズム音読をやります。終了後に、その人に応じた文法の基礎、次に簡単な英文をたくさん読みます。英文の感覚に慣れたら、入学試験問題を解きます。
    ③数言語 数学の基礎をやり、数のしくみに慣れてもらいます。同時に基本計算を通して数の扱いに慣れてもらいます。その後で入学試験問題で解き方トレーニングをします。
    ◆数学の根元の考え方、なぜそうなるか、疑問に答える中で、インド式計算、平方根、累乗、文字式の計算に慣れていきます。さらに、一次・二次方程式、関数、三角比、確率を中心に学び、その上で入試問題に取り組みます。

    ※以上の内容は看護学校の受験(高卒)を中心に考えています。準看護学校は中学卒の受験条件なので、内容・科目数が違います。基本トレーニングは①国語は同じ、②英語もほぼ同じ、③数学は基本は同じですが、科目内容は大分変わります。理科・社会も入学試験にはありますが、対応します。