母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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  • 自立のために資格を取りたいが 受験の経験がない金もない大人が受験をするためにはどうすればいいのか

    自立のために学校で学び資格を取りたい人はどうすればいのでしょうか。

    最初に言っておきますが
    自分で出来る人は自分でやってください。

    わたしが相手をしたいのは
    受験の経験のない人や自力ではできない人たちです。

    在職中にこんなことがありました。
    卒業生が入学試験日の一月前にやってきて
    過去問題を解くから教えてほしいと言うのです。
    (わたしの知らない卒業生でしたが)

    自分で問題が解けない子が一月前に過去問題を解いたところで合格できないことは考えるまでもないでしょう。
    これって本当の話ですよ。

    これは極端な話かもしれませんが。
    職業柄こんな子を何人も見ています。

    レベルの高い大学や専門学校を受験した経験のない子では
    程度は違っても同じような考えをもっていることが珍しくありません。
    試験前に過去問題をやって解き方を覚えれば何とかなると思っているわけです。
    仕方ないから相手はしましたが。

    じゃ、どうすればいいのか?
    まず、現実を知らなければなりません。
    わざわざ自分が受験して学校に通ってまで資格を取るのは
    それだけ有利な資格だからです。

    だから
    簡単に入学でき簡単に技術が身につけられる資格なら
    それはそれほど価値のある資格ではないのは当たり前のことです。
    値打ちのある資格は簡単に取れないことを知らなければなりません。

    考えれば当たり前のことでも
    知らないということで
    自分で矛盾に気づけないのです。

    ※そんなに医療受験は簡単なのか~合格するため、入学してからの修学のためには基本からが近道~

    わたしは大人が自立するために医療の資格をとることを勧めています。
    医療受験ための予備校もありますが
    今の生活に余裕がない人が通えるぐらい安くはありません。
    合格した後の学費・生活費を考えれば入学前に費用をかけたくないところです。

    特に
    就学するときに公的援助に頼らないといけない大人にとっては
    (最近は子どもには受験塾の費用を援助する市町村もありますが)
    大人は自己責任という考え方が強いので
    受験勉強のために十分な援助をしてもらうことは難しいのです。

    自分の現状に気づけば
    まず、自分の相談に親身になって取り合ってくれて
    問題を解決できる人を探すことから始めなければなりません。

    わたしは母親ひとり親が自立するために医療の学校に入る手助けをすることを志しました。
    受験の経験がなく金もない大人が自立のための資格を取るのを手助けしたいからです。

    特に
    入学試験のためのトレーニングは当然として
    ・学費・生活費の資金計画
    ・受験準備中のスケジュール管理
    ・受験のさまたげになるよろず問題解決
    も含めて手助けしたいと考えています。

    ただし
    有料の公益事業として考えています。
    それでも
    合格報酬で無理なく払える範囲でと考えています。

    ※わたしが母親ひとり親の手助け事業をする決心した理由 私が手助けを有料で合格報酬でするワケ1

    自立の志はあっても
    受験経験もなくどうしたらいいかもよくわからない人は是非一度相談してください。

  • 受験トレーニングの仕方はあなたの事情と能力に合わせて

    わたしの仕事はあなたが医療の学校への修学に必要な準備の手助けです。

     

    まず

    あなたの学資の相談や

    修学のための環境を作ること。

     

    次に

    受験のためのトレーニングをする

    当然、入学試験に合格することです。

     

    加えて

    入学後に学校を続ける

    授業についていくことができる

    そのための習慣作りです。

    これを作っていかないと入学しても続けていくことができません。

     

    合格のためトレーニングは

    パーソナルコーチとして

    あなたの事情と能力に合わせて

    メニューを作っていきます。

    どうやって学習時間を作っていくかということも大切です。

     

    できれば

    入学後のことも考えると定期的にトレーニングに通ってもらった方が通学の予行になりますが

    事情を考えながら一番有効で無理のない方法を考えましょう。

     

    入学試験合格を考えるだけではなく

    できるだけ無理なく授業を受ける力がなければ

    家事・子育てと両立がむずかしくなります。

    (特にレポートを書く能力がないと実習についていけません)

     

    そのためには入試の合格だけではなく

    きちんと基礎から作ることが大切です。

     

    もしかしたら

    人によっては準備から受験まで2年越しを覚悟する必要もあるかもしれません。

    (オトナの受験はまず準備が大変なのです)

     

    わたしは入学試験合格・修学はむずかしいことだと考えてはいません。

     

    でも

    実際の課題をクリアするためには十分な準備と覚悟が必要だと思います。

    そのためには自分の力が十分だと思えない人は

    手助けを受けてください。

     

    それでも

    いくら手助けを受けても

    解決するのはあなたです。

    自分だけの力でやらなくてはならないところが必ず出てきます。

     

    パンデミックが自然と人間社会のかかわりの乱れから起きる以上

    これから先、定期的に社会の混乱が起ります。

    先の見えない世界で

    自分の自立のため

    子どもや家族のため

    これからの時代を生き抜くためには

    挑戦が必要です。

     

  • サイトの運営の方針についてのお知らせ

    これまで、本サイトを私のメインサイトとして位置づけてきました。
    しかし、現在、アメブロ「母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします」に毎日新規記事を投稿しています。
    同じ内容での二重投稿を避けるために本サイトは更新の回数が減っています。
    それで、サイトの役割を分担することにしました。
    アメブロで表示できない。商業利用の内容、特に契約関係の文面を中心のサイトにすることとします。
    記事についてはアメブロ契約関係については本サイトでご愛顧たまわりたいと存じます。

  • 《書評》この本のおかげで30年来の疑問が解けました

    中島 さおり 著 『哲学する子どもたち: バカロレアの国フランスの教育事情』

    日本ではよく教育制度は英米とひとまとめにされることが多いのですが、米国の制度は実はフランスの影響の方がはるかに大きいことがよくわかります。日本ではフランスの学制がほとんど知られていない、または 誤解されています。私もフランスの学制がわかって始めて米国の学制?(米国には日本で言う学制はありません)が理解できました。(ビジネススクールはフランスが発祥であることがよくわかります)
    30年以上前フランスの学制の根本がリセ(当時は旧制高校、現在の制度ではハイスクールの扱いになっている)にあり、すぐれた仕組みであると聞き、実用に結びつけるため手がかりを求めました。フランス語ができないため、ネットがない時代だったので、日本の研究者の説明でしか知る手立てはなかったが、わけがわかりませんでした。その後20年以上調べるのをやめていました。
    偶然この本を手に入れて、説明のわけがわからなかった理由が研究者自身の理解がみな的はずれだったせいであることに気づきました。(彼らは研究者であっても実行者でなかったからだと思います)それに対して、筆者の説明でフランスの学制の核心を驚くほどはっきりつかむことができました。(内容はさりげなく書かれていますが、筆者はかなり高い知性の持ち主だとお見受けします)
    そして、読んですぐに、長年の仕事でバラバラに作ってきたパーツを結びつける糸がみつかりました。現在でも国語教育の本流である「共感の共有で理解しあう(文学教育主義)」に対して私が求めてきた「正確に意思を伝える(公的日本語表現)」を行う具体的なトレーニングのしくみが組み上がりました。そして、「論文トレーニングシステム」として、三ヶ月ほどで定年前の最後の仕事、同時に再出発の最初の仕事としてまとめることができました。
    考えてみれば、それまでの30年間の遠回りはいったい何だったのでしょうか。つくづく、よい本は遠くの見えないものを目の前で見せてくれることを実感しました。著者に深く感謝します。

  • 《書評》「わかる」という言葉は何ともやっかいなものだ

    新井紀子 著 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち 』

    出版されてすぐぐらいに買ったが、「日本語がわからないから問題が解けないだけだ」という氏の主張は正しいが違和感をずっと感じていた。何がどうなのかずーっと考えてきた。氏の考えている事業が子どもの日本語能力を上げることができるかという疑問だ。
    特に、日本の大学の現状を考えると「みんな大学に行きなさい」には根本的な疑問を感じた。著者の言動は善意である。だから、なおさらミスリードの影響力が大きい。あえて発言する。
    結論からいう。著者の主張は自分の体験であって、ヒトと言葉の関係ついてはよく考えていない。
    どういうことかと言うと「日本語がわからないから問題が解けないだけだ」という事実は正しい。だが、ここでわりと簡単に使っている「わかる・理解する」という言葉が、わかるということをどこまで追求しているのか。(ここが機械も知能をもてるかという根本なのだが)
    自分がわかりすぎる人はわからない人のことはわからないからだ。
    私は退職するまでほとんどの職業人生を自分から相手の話を聞いてくれない子どもたちを相手にしてきた。そして、「理解は誤解であるという考え方」に達した。
    たいていの場合、人は聞いた振りをして自分の都合で相手の話を受け止め、ほとんど話の内容を聞いていない。実際、普段の生活ではほとんどの場合それで困らない。私たちの普段の生活で厳密な理解を求められることはほとんどない。学問や精密な確認を求められる仕事だけがいいかげんを許さない。たいていはお互いの勝手な理解(誤解)で用事は済んでしまう。(「こんにゃく問答」状態です)
    ヒトは自分が聞きたいようにしか聞かない。
    唯一、数言語(数学)の世界だけが、ほぼそれを許さない。(それでも、数学者は結構自分の趣味で言葉を使っているけど)だから、数学をいやがる子が多い。また、教える方も問題が解けても数学で何を教えるかがわかっているとはかぎらない。教育数学(数学ではない)の本質は数学的考えではなく、「数という言語」を使った言語訓練だ。
    自然言語(数言語ではないもの)でも、観念(私的思考)を概念(共通の定義)に高めることで誤解の幅を狭めることができる。
    あえて言えばそれを突き詰め、訓練することから始まるのが高等教育だ。すべての学の基本がそこにある。これを求めない、求めることができない大学教育は高等教育ではない。
    感情の共有を最高のものとする国語教育では、わかり合えない他者との泥沼のような伝え合いに汗を流す訓練、または相手を力ずくで説き伏せる考え・訓練が決定的に欠けている。だから、「氏がわかるようにはみんなはわからない」
    氏の私財を使った啓蒙活動を尊敬する。しかし、本人が力を入れているわりには空回りする気がする。理由は述べたとおり。「わかる」ということは氏が思っているよりははるかにやっかいなものだ。