意見と事実-事実を正確に伝えるためには-

「意見と事実-事実を正確に伝えるためには-」

意識・心象の全体のことを「観念」といいます。
人は生活を通して観念を手に入れます。
観念は身体・感覚に密着した未分離の意識であり
観念は「言語化(=言葉にされる)」されることによって「概念」となります。
未分離の意識を「内言」、言語化された意識を「外言」と呼ぶ言い方もあります。
概念のやり取りがコミュニケーションです。
(やり取りの方法は狭い意味での言語だけとはかぎらず
概念をやり取りできるものを言語と呼ぶことができます。
たとえば「数」も言語です)

概念は低次元から高次元までの階層になっています。
各個人の意識の中では概念を通じての言語操作がなされます。
原理的には数式の操作による演算と変わるところはありません。

手に入れた概念が
物事を行うこと(経験)で身体・感覚と結びついた時
言語の身体化が起ります。
再び、言葉と感覚が再び結びつくということです。
これは、抽象が具体になることを指します。
頭だけではなく体でも分かったということになります。

概念は高い次元になるほど抽象性が増し
交換する概念が高い次元であるほどコミュニケーションは効率的となります。
いってみれば
低い次元同士のコミュニケーションは何人もの通訳が入った会話のようなものです。
手間がかかると同時に翻訳されるときに内容が変わってしまいます。
しかし
そのためには高い次元の概念を受け入れる力が必要となります。

したがって
言語学習とは
「観念から概念の獲得→その効率的な交換→概念の身体化」という
一連の訓練を指します。

高い次元の概念を手に入れることで伝達の経路は効率化され
コミュニケーションの能率を上げることができます。
また、概念の共通化で同時に多数への意思伝達が可能になります。

[言語学習の過程] ①観念からの概念の獲得
・通常の低次元の概念は生活レベルで獲得されている
・具体的な言葉(経験)をより抽象度が高い表現(言葉)に変える

②概念の操作訓練
a語彙の抽象レベルの変換(相互的)   低次⇔高次(言い換え)
b文の抽象レベルの変換(相互的)    低次⇔高次(言い換え)
c文章(論理性をもった文の集合体)を構成する
dテキスト(本文)を要約する(論理的構成の把握)
文章を書くことが逆操作となるが、abの訓練よりもはるかに高次の作業となる。

※事実を正確に伝えるためには 「意見と事実」

「意見と事実-事実を正確に伝えるためには-」 3回に分けて連載します。
これはわたしが受講生のトレーニング用に作ったもののうちの一部です。
特に市販されている問題集では取り上げられていない分野で訓練が必要なものは自分でテキストをつくっています。

「意見と事実-事実を正確に伝えるためには-」 その1
物事を記録したり報告したりする文章は、事実を正確に伝えることを主目的としている。
また、自分の意見や主張を述べる文章においても、対象とする事象、あるいは具体的な事例など、事実を述べる部分はかなり多いはずである。
そして、それらの事実は、書き手の解釈や意見とは区別して書くことが必要とされる。
ところで、事実と意見とを区別するというのは、なかなか難しいことである。
この区別を最も厳密な意味で問題にするのは、法廷での論証などの場であろうが、日常生活の中でも、両者を区別することが必要になることも多い。

例えば、〇〇駅の改札口で午後一時に「彼」と会うことになっていたが、時間になっても「彼」が現れない、という場合を想定してみよう。その時、次のように言ったとすると、その中でどれが事実を述べた文で、どれが事実を述べていない文だろうか。

①彼はまだやって来ない。
②彼は約束を忘れた。
③彼はうそをついた。
④彼はうそつきだ。

こうした区別はかなり微妙なものなので、まず、区別するための尺度を確認しておく。
[事実]… 実証可能なもの。つまり、客観的に確かめられるもの。
[推論]… 知られていることをもとに、知られていないことについて述べられたもの。
[断定]… 書き手(話し手)の好悪の判断(好き・嫌い、よい・悪い、賛成・反対、など)を示したもの。

◎事実と意見
「事実と意見」という場合の「意見」とは、このように推論や断定が加わったものをいう。さて、このように定義したうえで、右の①~④の文を検討してみる。
①彼はまだやって来ない。… 「事実」を述べた文
その時周囲を見回すなどして、「彼」が来ていないことを確かめることができるので、①は事実を述べた文と言うことができる。ただし、「まだ」という語があるから事実なのであり、「まだ」がなければ少々怪しくなる。

②彼は約束を忘れた。… 「推論」した文
「彼」が来なかったことに対して、それを「約束を忘れた」ためだと推測した文である。したがって、これは事実を表した文ではなく、「推論」ということになる。
(なお、電話などで「彼」自身が「忘れた」と言うのを聞いて、それを伝えた文であれば、内容的には事実に近いものになるが、やはりこの表現のままでは事実を述べた文とはいえない。「忘れたらしい」「忘れたそうだ」などの表現を用いるべきであろう)。

③彼はうそをついた。… 「断定」した文
③は、単なる推論ではなく、「彼」が来なかったことを非難する気持ちを表した文、来なかったことを悪いことだと判断していることを表した文であり、「断定」である。もともと「うそ」というのは具体的な事柄ではなく、ある事柄を評価・分類した言葉である。

④彼はうそつきだ。… 決めつけた文
これは、いわば「断定+予想」とでも呼ぶべき文であり、事実からは最も遠いことになる。つまり、④は、「彼」の人柄に対する評価・断定が加えられた文であり、具体性がないというだけにはとどまらない危険がある。「うそつきだ」という表現は、「今後もうそをつくだろう」という予想まで含んでくるのである。

日常生活の中で、右の③や④の表現はかなり用いられているのではないか。「彼は誠実な人だ」「彼は怠け者だ」などの類である。それらが書き手(話し手)の判断であると承知していればよいのだが、それを事実と考えてしまっては困る。「誠実な人だ」「怠け者だ」という言葉は、いわば人間にレッテルをはったようなものであり、その人のすべてを一面的に分類したことになるからである。

※練習問題を解いてみよう。

[1] 次の各文はそれぞれ「事実」を述べた文か、「推論」を述べた文か区別しなさい。

①お店でリンゴを百円で売っている。
②佐々木君は、友達をかばって自分からその役目を引き受けた。
③中村君は満足して笑っていた。
④昨日午後一時ごろ、校門前でバイクと軽自動車との衝突事故が起きた。
⑤鈴木君が包丁で切った傷口は痛そうだった。
⑥鈴木君は成績がよいからきっと勉強家だ。
⑦富士山は日本一高い山だ。
⑧アインシュタインは偉大な科学者だ。

(解答)事実:①④⑦

[2] [1]のうちの推測を述べた文はどのような条件なら事実を述べた文になるか.

②③⑤⑥は本人に確かめたときに、事実だと確かめることができればよい。
⑧については「偉大」の基準があれば判断することが出来る。

[3] 次の(例文)a、b、c、はそれぞれ、
①観察した事実、あるいは誰かによって観察された「事実」についての、正しいか誤りかが確認できる発言。
②わかっていることをもとにわかっていないことについて「推論」した発言。
③話し手の評価・価値判断など「断定」を含む発言。
である。

(例文)
a、敬子さんが歌を歌いながら歩いている。…… ①事実
b、敬子さんは今日機嫌がいいのだろう。 …… ②推論
c、敬子さんは明るくていい人だ。    …… ③断定

同じように、次の各組の発言を(①)~(③)に分類しなさい。

1、ア、プロ野球の××球団はやる気のないチームだ。
イ、プロ野球の××球団は昨日で十連敗だ。
ウ、プロ野球の××球団は今晩の試合も負けるだろう。

2、ア、○○がまた遅刻をしている。
イ、○○はいいかげんなやつだ。
ウ、○○は夜更かしをしたのだろう。

3 ア、晶くんは社会性がない人だ。
イ、晶くんは私におはようと言わなかった。
ウ、晶くんは私のことが嫌いなんだ。

(解答)1、③①② 2、①③② 3、③①②

[4] ある「断定」は、いろいろな「事実」から導き出される可能性がある。
例のように、同じ「断定」に結びつく、異なる「事実」を考えて書きなさい。

(例)
断定 「○○選手は野球選手の鑑だ」
事実1「○○選手はけがをしても試合を休んだことがない」
事実2「○○はファンにサインを頼まれて断ったことがない」

解答例 〇〇選手は〇〇の施設の子どもたちを試合に招待した。

※「断定」は「事実」がどうかよりもその人の価値判断に基づくものなので
どのように「断定」が行われるかというしくみを知ることは
「断定」を客観的に評価するために必要である。

[5] 「断定」について理解するためには、一つのことがらを①よい感じの表現②悪い感じの表現と、二通りの言い方をしてみるとよい。
例えば「役員会から提出された新規の事業計画について、社長は三日後にようやく決断を下した。」という事実に対して、

①よい感じの表現 … 社長はきわめて慎重に対処する。
②悪い感じの表現 … 社長は決断力に欠けるところがある。
という二つの「断定」ができる。

それでは、次のことがらについて、二通りの断定を試みてみよう。

ア、彼はただ一人、その提案に反対し続けた。
①よい感じの表現
②悪い感じの表現
*ヒント ①信念 ②がんこ

(解答例)
①彼は自分の信念からただ一人、その提案に反対し続けた。
②彼は頑固さからただ一人、その提案に反対し続けた。

イ、野球部は毎日七時過ぎまで練習をしている。
①よい感じの表現 →
②悪い感じの表現 →
*ヒント ①一生懸命 ②だらだらと

(解答例)
①野球部は毎日七時過ぎまで一生懸命練習している。
②野球部は毎日七時過ぎまでだらだらと練習をしている。

※このように同じことでも立場の違いによって同じ事実から全く正反対の内容で表現することができることに注意したい。
自分に有利になるように文を書くのは当然のことであるが、相手が事実を有利に表現するために行っていることを鵜呑みにしてはならない。

[文章を書く時の心得] ①文章を書く場合、事実だけを羅列したのではよい文章にはなりにくいし、書き手の意見だけを繰り返しても説得力のある文章にはならない。
具体的な事例と、自分の判断や見解などとを、適切に組み合わせることが大切である。
②その際、自分の推論や断定については、それが自分の意見であることを明示した形にするよう心がけたい。
事実と意見との区別には難しい点もあるのだが、表現方法などを工夫することによって、読み手にもよくわかるようにしたい。
③なお、文章中に他人の意見(著書・論文・話など)を引用することがある。とりわけ論説的な文章においては有効な方法であるが、その場合も、引用する部分と、自分の意見を述べる部分とを、明確に区別して、両者が混同しないように書かなければならない。

2020/7/9
◆フランスの作文教育と考える方法(中島さおり「哲学する子どもたち」より) 前編

わたしは現時点ではフランスの作文教育が世界で最もすぐれていると考えています。
その理由を中島さんの著書「哲学する子どもたち」を紹介する形で説明します。

話は「哲学」のバカロレア受験参考書から始まります。
バカロレアは最近知られるようになりましたが共通大学入学資格試験です。
フランスの学校で教えている「哲学」とはどんなものか?
参考書の第1章「バカロレアにおける二つのタイプの設問に対処するための一般的な方法論」。
この二つのタイプの設問というのは、一つが論述でもう一つがテクスト説明。
テクスト説明は哲学者の書いた文章の抜粋が与えられて、それを論評するもの。
中島さんはこのうち「論述」の力を取り上げて話を進めます。

論述の出題は「芸術作品には必ず意味があるか?」というような哲学的な問いに対して、自分で仮説を立て、論証していく形式です。

受験参考書は言う。
「論述とはどういうものであるか。それは哲学についての言述ではなく、それ自体が哲学的な言述でなければならない。つまり、主題についての明確で厳密な問題提起に立脚して、それに対して説を唱えるものでなければならない。説とは、問題への答えである。君たちの持っている知識を使いながら、哲学において、可能な説の有効性を証明することである」

「私が本当にすごいと思うのは、私たちが日本で高等教育を受けても一度も習わないことを、フランス人たちは、どこにでもいる高校の先生に習っているということなのだ。それはサルトルがどう考えたとか、ニーチェが何を言ったとかではない。「抽象的にものを考えて他人に示すにはどのようにやるか」という実に具体的な方法である。(中島)」
これより詳しいことは本書を読んでもらう方がいいのですが(買って読む値打ちがある本です)

具体的な話を進めましょう。
論述文を書くには、まず序論、本論、結論がなければならない。これは目新しい話ではないでしょう。
しかし、序論の内容となると日本のやり方と全く違います。

Ⅰ 与えられた問題を自分の言葉で書き直す
試験官はまず、受験生が問題の意味を理解したかどうかを見ます。
そのため受験生は自分の理解を示すために問題をリライトしながら
同時に出てくる用語を定義していきます。

これが論を発展させるための「概念化」の作業です。
論を立てるための基本は書き手と読み手の間で共通に言葉を使うことです。

かつて「リセ」が旧制高校扱い(今は中等教育)だったときには
「哲学学年」といって丸1年かけて重要な概念について学生が討論していました。
この流れがあるから、制度が変わった今でもフランスでは極左から極右まで党派にかかわらず
上に立つ立場の人間は同じ言葉で議論できるのです。

Ⅱ 論理は二つ以上
次に問題提起をします。
問題提起というのは、「与えられた主題に、論理の一貫した答えが複数あって、それが互いに矛盾するという構図を作ること」です。
フランスの哲学の試験では、高校生は少なくとも一人で二つの論理を発展させなければ、答案を書くことができません。
自分の思い込みを一方的に唱えるのは「考える」ということではない。
そう学校で教えられている。
「異なる説を自分で発展させてみて突き合わせる知的な練習をしていれば、自分と異なる意見に耳を傾ける習慣も自然とつき、議論をするペースが築かれるだろう。まったく噛み合わない自説を主張するばかりで「いろんな意見がありますから」で終わる不毛な議論が起こる回数も減ると想像する。(中島)」

特別の才能がなくても、普通以上の高校生であればこの訓練を受け、実行しているのです。

「そう学校で教えられていることにまず驚いてしまう。
異なる説を自分で発展させてみて突き合わせる知的な練習をしていれば、自分と異なる意見に耳を傾ける習慣も自然とつき、議論をするペースが築かれるだろう。まったく噛み合わない自説を主張するばかりで「いろんな意見がありますから」で終わる不毛な議論が起こる回数も減ると想像する。

Ⅲ 対立する論点から結論へ
複数の説を押し進め両方の説を調整して別の道を見つけ出す。
ここが「展開部」になるわけです。
そうすると結論にあたる部分が効果的に引き出せる。
さらに
「結論」は「序論」と「本論」で扱ったことの混合であってはいけない。
「第一部と第二部で使わなかった考えを第三部のためにとっておけ」
日本の小論文の指導がときどき、「結論は序論と同じことを繰り返せ」と言っているのとは全く違うのです。

わたしは仕事柄今まで高校入試の膨大な量の作文を読んできましたが
(残念ながらトップ水準の子たちの文章を読む機会はありませんでしたが)
感想の一言
みんな書くことが同じで
「全然面白くな~い」「読むのが苦痛」
当然、ここでの面白さは「受けを狙え」、「個性を主張」や「興味本位に書け」ではありません。
文章が上手下手以前に魅力と言わなくても読み手に納得させるような文にお目にかかれないのです。

今は少しましに成ったようですが
一時東京大学に合格しても小学生のような文しか書けない子が少なくないと問題になりましたが。
(東京大学の教員のリークです)

後編に続く

2020/7/10
◆フランスの作文教育と考える方法(中島さおり「哲学する子どもたち」より) 後編

前編からの続きです

Ⅳ 哲学者の役割
そして
文を書く中での引用や知識をどう考えるかということです。
「フランスの「哲学」という科目では自分の考えを発展させることが優先されているが、だからといって、哲学者の言ったことを勉強しないで勝手に考えてよいわけではない。・・・ 哲学を学ばないで、「考える力」だけつけようとするのは、技術を学ばないで船を作ろうとするようなものだろう。」(中島)

日本ではほとんど無視されていますが
論文を書くときの訓練には「基礎論理学」が必要です。
これって「哲学」の分野です。
基礎論理学の訓練なしで(感想文ではなく)論文を書くのは大変むずかしいことです。
当然、論理としてまとまった形ではなくても文章作法の中には含まれていなければなりません。
フランスの普通教育では他人を無視しないように筋道をとらえさせることで
作文を書く訓練の中で論理の基本練習がされているようです。

ここでは知識量だけを問うのではなく
(知識が不十分ならやっぱりよい文は書けません)
知識が自分の中でどう捉えられているか、活かされているかが問われます。
それを示す方法として作文があるわけです。

儒学の一派に「陽明学」というものがあります。
幕末の志士(勤王も佐幕も)と呼ばれた人たちを動かしたのはこの学問です。
日本の歴史をつくった思想といってもいいでしょう。
陽明学の基本は儒学主流の朱子学が客観(正しさ)を重く見たのに対し
行動を重く見たことです。
王陽明の言葉に「五経(聖典)は心の脚注(参考)である」とあります。
陽明学は実践の学問です。
実践で初めて知識の意味が問われるのです。
自分の考えに文という形を与える。
これも実践の始めといっていいでしょう。

このような試験ではカンニングのしようもありませんが
日本なら採点の基準で公正さが保てないとか苦情が出てくると考えるでしょう。
(日本の新共通テストではこれが問題になっています)
フランスでは書く方も評価する方もノウハウがあり
苦情が出ないだけの積み重ねができているのでしょう。
教師に説得できるだけの評価能力があるということです。
(残念ながら日本の教員にはこれがないのです)

でも、フランスの元大統領の回想によれば
バカロレアの受験中に前の席に座っていた女の子が解答に困っていたようなので
親切にも自分からすすんで代わりに答案を書いてあげて
(残り時間で自分の答案をつくった)
そのために自分は試験に通ったものの最優秀は逃した
そんなことを書いていました。
なかなかお茶目な人です。

それでも不正入試などと騒がないのはさすがにみなさん大人です。
(有権者として問うことは大統領としてすぐれているかどうかです)
これぐらい博愛の人でなければフランス大統領は務まらないのでしょうかね?

哲学に限らずフランスのバカロレアの出題は全記述の形をとり、基本的な流儀は同じになっています。
哲学だけがという事ではないのです。

最初はフランスの普通教育の事情を知るために偶然買った本ですが
読み始めたら書き手の中島さんの能力の高さに腰を抜かしました。
文章の明快さでそれがわかります。

実は30年ほど前に当時のリセ(旧制高校)の哲学学年のしくみが非常にすぐれていると聞いて
調べるために当時ネットもなくフランス語が読めないわたしとしてはある限りの努力をしましたが
専門家という人たちの話がまったく分かりませんでした。
わたしのものわかりが悪いせいかと思っていましたが
中島さんの書いていることを読むと専門家の方が全く何も分かっていなかったというのが感想です。

おかげで20年以上回り道をしましたが
定年の直前にこの本に出会い
10年来構想してきた『論文トレーニングシステム』最後の骨組が出来上がりました。
半年後、短い文章しか書けない子に長文を書かせるための技術が解決できて完成することができました。

※わたしのプランの概要は次のとおりです。
素養のある人はこれだけでわたしの方法を理解することができると思います。
『論文トレーニングシステム』はこのプランを実現するためにフランス式作文術を日本語で訓練するための課題群です。
(権利関係未整理のため契約者以外には公開しません)

論文は「起承転結」で書いてはいけない これからは公の表現の訓練が必要になります
https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12498626073.html

考える方法と論文の作り方 公的論文の書き方 その1 全体の構図
https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12499003548.html

考える方法と論文の作り方 公的論文の書き方 その2 論文の形式
https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12499330343.html

考える方法と論文の作り方 公的論文の書き方 その3 実例とワークシート
https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12499721374.html

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