母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

投稿者: k.takahiro

  • フランスの作文教育と考える方法

    フランスの作文教育と考える方法(中島さおり「哲学する子どもたち」より)

    わたしは現時点ではフランスの作文教育が世界で最もすぐれていると考えています。
    その理由を中島さんの著書「哲学する子どもたち」を紹介する形で説明します。

    話は「哲学」のバカロレア受験参考書から始まります。
    バカロレアは最近知られるようになりましたが共通大学入学資格試験です。
    フランスの学校で教えている「哲学」とはどんなものか?
    参考書の第1章「バカロレアにおける二つのタイプの設問に対処するための一般的な方法論」。
    この二つのタイプの設問というのは、一つが論述でもう一つがテクスト説明。
    テクスト説明は哲学者の書いた文章の抜粋が与えられて、それを論評するもの。
    中島さんはこのうち「論述」の力を取り上げて話を進めます。

    論述の出題は「芸術作品には必ず意味があるか?」というような哲学的な問いに対して、自分で仮説を立て、論証していく形式です。

    受験参考書は言う。
    「論述とはどういうものであるか。それは哲学についての言述ではなく、それ自体が哲学的な言述でなければならない。つまり、主題についての明確で厳密な問題提起に立脚して、それに対して説を唱えるものでなければならない。説とは、問題への答えである。君たちの持っている知識を使いながら、哲学において、可能な説の有効性を証明することである」

    「私が本当にすごいと思うのは、私たちが日本で高等教育を受けても一度も習わないことを、フランス人たちは、どこにでもいる高校の先生に習っているということなのだ。それはサルトルがどう考えたとか、ニーチェが何を言ったとかではない。「抽象的にものを考えて他人に示すにはどのようにやるか」という実に具体的な方法である。(中島)」
    これより詳しいことは本書を読んでもらう方がいいのですが(買って読む値打ちがある本です)

    具体的な話を進めましょう。
    論述文を書くには、まず序論、本論、結論がなければならない。これは目新しい話ではないでしょう。
    しかし、序論の内容となると日本のやり方と全く違います。

    Ⅰ 与えられた問題を自分の言葉で書き直す
    試験官はまず、受験生が問題の意味を理解したかどうかを見ます。
    そのため受験生は自分の理解を示すために問題をリライトしながら
    同時に出てくる用語を定義していきます。

    これが論を発展させるための「概念化」の作業です。
    論を立てるための基本は書き手と読み手の間で共通に言葉を使うことです。

    かつて「リセ」が旧制高校扱い(今は中等教育)だったときには
    「哲学学年」といって丸1年かけて重要な概念について学生が討論していました。
    この流れがあるから、制度が変わった今でもフランスでは極左から極右まで党派にかかわらず
    上に立つ立場の人間は同じ言葉で議論できるのです。

    Ⅱ 論理は二つ以上
    次に問題提起をします。
    問題提起というのは、「与えられた主題に、論理の一貫した答えが複数あって、それが互いに矛盾するという構図を作ること」です。
    フランスの哲学の試験では、高校生は少なくとも一人で二つの論理を発展させなければ、答案を書くことができません。
    自分の思い込みを一方的に唱えるのは「考える」ということではない。
    そう学校で教えられている。
    「異なる説を自分で発展させてみて突き合わせる知的な練習をしていれば、自分と異なる意見に耳を傾ける習慣も自然とつき、議論をするペースが築かれるだろう。まったく噛み合わない自説を主張するばかりで「いろんな意見がありますから」で終わる不毛な議論が起こる回数も減ると想像する。(中島)」

    特別の才能がなくても、普通以上の高校生であればこの訓練を受け、実行しているのです。

    「そう学校で教えられていることにまず驚いてしまう。
    異なる説を自分で発展させてみて突き合わせる知的な練習をしていれば、自分と異なる意見に耳を傾ける習慣も自然とつき、議論をするペースが築かれるだろう。まったく噛み合わない自説を主張するばかりで「いろんな意見がありますから」で終わる不毛な議論が起こる回数も減ると想像する。

    Ⅲ 対立する論点から結論へ
    複数の説を押し進め両方の説を調整して別の道を見つけ出す。
    ここが「展開部」になるわけです。
    そうすると結論にあたる部分が効果的に引き出せる。
    さらに
    「結論」は「序論」と「本論」で扱ったことの混合であってはいけない。
    「第一部と第二部で使わなかった考えを第三部のためにとっておけ」
    日本の小論文の指導がときどき、「結論は序論と同じことを繰り返せ」と言っているのとは全く違うのです。

    わたしは仕事柄今まで高校入試の膨大な量の作文を読んできましたが
    (残念ながらトップ水準の子たちの文章を読む機会はありませんでしたが)
    感想の一言
    みんな書くことが同じで
    「全然面白くな~い」「読むのが苦痛」
    当然、ここでの面白さは「受けを狙え」、「個性を主張」や「興味本位に書け」ではありません。
    文章が上手下手以前に魅力と言わなくても読み手に納得させるような文にお目にかかれないのです。

    今は少しましに成ったようですが
    一時東京大学に合格しても小学生のような文しか書けない子が少なくないと問題になりましたが。
    (東京大学の教員のリークです)

    Ⅳ 哲学者の役割
    そして
    文を書く中での引用や知識をどう考えるかということです。
    「フランスの「哲学」という科目では自分の考えを発展させることが優先されているが、だからといって、哲学者の言ったことを勉強しないで勝手に考えてよいわけではない。・・・ 哲学を学ばないで、「考える力」だけつけようとするのは、技術を学ばないで船を作ろうとするようなものだろう。」(中島)

    日本ではほとんど無視されていますが
    論文を書くときの訓練には「基礎論理学」が必要です。
    これって「哲学」の分野です。
    基礎論理学の訓練なしで(感想文ではなく)論文を書くのは大変むずかしいことです。
    当然、論理としてまとまった形ではなくても文章作法の中には含まれていなければなりません。
    フランスの普通教育では他人を無視しないように筋道をとらえさせることで
    作文を書く訓練の中で論理の基本練習がされているようです。

    ここでは知識量だけを問うのではなく
    (知識が不十分ならやっぱりよい文は書けません)
    知識が自分の中でどう捉えられているか、活かされているかが問われます。
    それを示す方法として作文があるわけです。

    儒学の一派に「陽明学」というものがあります。
    幕末の志士(勤王も佐幕も)と呼ばれた人たちを動かしたのはこの学問です。
    日本の歴史をつくった思想といってもいいでしょう。
    陽明学の基本は儒学主流の朱子学が客観(正しさ)を重く見たのに対し
    行動を重く見たことです。
    王陽明の言葉に「五経(聖典)は心の脚注(参考)である」とあります。
    陽明学は実践の学問です。
    実践で初めて知識の意味が問われるのです。
    自分の考えに文という形を与える。
    これも実践の始めといっていいでしょう。

    このような試験ではカンニングのしようもありませんが
    日本なら採点の基準で公正さが保てないとか苦情が出てくると考えるでしょう。
    (日本の新共通テストではこれが問題になっています)
    フランスでは書く方も評価する方もノウハウがあり
    苦情が出ないだけの積み重ねができているのでしょう。
    教師に説得できるだけの評価能力があるということです。
    (残念ながら日本の教員にはこれがないのです)

    でも、フランスの元大統領の回想によれば
    バカロレアの受験中に前の席に座っていた女の子が解答に困っていたようなので
    親切にも自分からすすんで代わりに答案を書いてあげて
    (残り時間で自分の答案をつくった)
    そのために自分は試験に通ったものの最優秀は逃した
    そんなことを書いていました。
    なかなかお茶目な人です。

    それでも不正入試などと騒がないのはさすがにみなさん大人です。
    (有権者として問うことは大統領としてすぐれているかどうかです)
    これぐらい博愛の人でなければフランス大統領は務まらないのでしょうかね?

    哲学に限らずフランスのバカロレアの出題は全記述の形をとり、基本的な流儀は同じになっています。
    哲学だけがという事ではないのです。

    最初はフランスの普通教育の事情を知るために偶然買った本ですが
    読み始めたら書き手の中島さんの能力の高さに腰を抜かしました。
    文章の明快さでそれがわかります。

    実は30年ほど前に当時のリセ(旧制高校)の哲学学年のしくみが非常にすぐれていると聞いて
    調べるために当時ネットもなくフランス語が読めないわたしとしてはある限りの努力をしましたが
    専門家という人たちの話がまったく分かりませんでした。
    わたしのものわかりが悪いせいかと思っていましたが
    中島さんの書いていることを読むと専門家の方が全く何も分かっていなかったというのが感想です。

    おかげで20年以上回り道をしましたが
    定年の直前にこの本に出会い
    10年来構想してきた『論文トレーニングシステム』最後の骨組が出来上がりました。
    半年後、短い文章しか書けない子に長文を書かせるための技術が解決できて完成することができました。

    ※わたしのプランの概要は次のとおりです。
    素養のある人はこれだけでわたしの方法を理解することができると思います。
    『論文トレーニングシステム』はこのプランを実現するためにフランス式作文術を日本語で訓練するための課題群です。
    (権利関係未整理のため契約者以外には公開しません)

    論文は「起承転結」で書いてはいけない これからは公の表現の訓練が必要になります
    https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12498626073.html

    考える方法と論文の作り方 公的論文の書き方 その1 全体の構図
    https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12499003548.html

    考える方法と論文の作り方 公的論文の書き方 その2 論文の形式
    https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12499330343.html

    考える方法と論文の作り方 公的論文の書き方 その3 実例とワークシート
    https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12499721374.html

  • 意見と事実-事実を正確に伝えるためには-

    「意見と事実-事実を正確に伝えるためには-」

    意識・心象の全体のことを「観念」といいます。
    人は生活を通して観念を手に入れます。
    観念は身体・感覚に密着した未分離の意識であり
    観念は「言語化(=言葉にされる)」されることによって「概念」となります。
    未分離の意識を「内言」、言語化された意識を「外言」と呼ぶ言い方もあります。
    概念のやり取りがコミュニケーションです。
    (やり取りの方法は狭い意味での言語だけとはかぎらず
    概念をやり取りできるものを言語と呼ぶことができます。
    たとえば「数」も言語です)

    概念は低次元から高次元までの階層になっています。
    各個人の意識の中では概念を通じての言語操作がなされます。
    原理的には数式の操作による演算と変わるところはありません。

    手に入れた概念が
    物事を行うこと(経験)で身体・感覚と結びついた時
    言語の身体化が起ります。
    再び、言葉と感覚が再び結びつくということです。
    これは、抽象が具体になることを指します。
    頭だけではなく体でも分かったということになります。

    概念は高い次元になるほど抽象性が増し
    交換する概念が高い次元であるほどコミュニケーションは効率的となります。
    いってみれば
    低い次元同士のコミュニケーションは何人もの通訳が入った会話のようなものです。
    手間がかかると同時に翻訳されるときに内容が変わってしまいます。
    しかし
    そのためには高い次元の概念を受け入れる力が必要となります。

    したがって
    言語学習とは
    「観念から概念の獲得→その効率的な交換→概念の身体化」という
    一連の訓練を指します。

    高い次元の概念を手に入れることで伝達の経路は効率化され
    コミュニケーションの能率を上げることができます。
    また、概念の共通化で同時に多数への意思伝達が可能になります。

    [言語学習の過程] ①観念からの概念の獲得
    ・通常の低次元の概念は生活レベルで獲得されている
    ・具体的な言葉(経験)をより抽象度が高い表現(言葉)に変える

    ②概念の操作訓練
    a語彙の抽象レベルの変換(相互的)   低次⇔高次(言い換え)
    b文の抽象レベルの変換(相互的)    低次⇔高次(言い換え)
    c文章(論理性をもった文の集合体)を構成する
    dテキスト(本文)を要約する(論理的構成の把握)
    文章を書くことが逆操作となるが、abの訓練よりもはるかに高次の作業となる。

    ※事実を正確に伝えるためには 「意見と事実」

    「意見と事実-事実を正確に伝えるためには-」 3回に分けて連載します。
    これはわたしが受講生のトレーニング用に作ったもののうちの一部です。
    特に市販されている問題集では取り上げられていない分野で訓練が必要なものは自分でテキストをつくっています。

    「意見と事実-事実を正確に伝えるためには-」 その1
    物事を記録したり報告したりする文章は、事実を正確に伝えることを主目的としている。
    また、自分の意見や主張を述べる文章においても、対象とする事象、あるいは具体的な事例など、事実を述べる部分はかなり多いはずである。
    そして、それらの事実は、書き手の解釈や意見とは区別して書くことが必要とされる。
    ところで、事実と意見とを区別するというのは、なかなか難しいことである。
    この区別を最も厳密な意味で問題にするのは、法廷での論証などの場であろうが、日常生活の中でも、両者を区別することが必要になることも多い。

    例えば、〇〇駅の改札口で午後一時に「彼」と会うことになっていたが、時間になっても「彼」が現れない、という場合を想定してみよう。その時、次のように言ったとすると、その中でどれが事実を述べた文で、どれが事実を述べていない文だろうか。

    ①彼はまだやって来ない。
    ②彼は約束を忘れた。
    ③彼はうそをついた。
    ④彼はうそつきだ。

    こうした区別はかなり微妙なものなので、まず、区別するための尺度を確認しておく。
    [事実]… 実証可能なもの。つまり、客観的に確かめられるもの。
    [推論]… 知られていることをもとに、知られていないことについて述べられたもの。
    [断定]… 書き手(話し手)の好悪の判断(好き・嫌い、よい・悪い、賛成・反対、など)を示したもの。

    ◎事実と意見
    「事実と意見」という場合の「意見」とは、このように推論や断定が加わったものをいう。さて、このように定義したうえで、右の①~④の文を検討してみる。
    ①彼はまだやって来ない。… 「事実」を述べた文
    その時周囲を見回すなどして、「彼」が来ていないことを確かめることができるので、①は事実を述べた文と言うことができる。ただし、「まだ」という語があるから事実なのであり、「まだ」がなければ少々怪しくなる。

    ②彼は約束を忘れた。… 「推論」した文
    「彼」が来なかったことに対して、それを「約束を忘れた」ためだと推測した文である。したがって、これは事実を表した文ではなく、「推論」ということになる。
    (なお、電話などで「彼」自身が「忘れた」と言うのを聞いて、それを伝えた文であれば、内容的には事実に近いものになるが、やはりこの表現のままでは事実を述べた文とはいえない。「忘れたらしい」「忘れたそうだ」などの表現を用いるべきであろう)。

    ③彼はうそをついた。… 「断定」した文
    ③は、単なる推論ではなく、「彼」が来なかったことを非難する気持ちを表した文、来なかったことを悪いことだと判断していることを表した文であり、「断定」である。もともと「うそ」というのは具体的な事柄ではなく、ある事柄を評価・分類した言葉である。

    ④彼はうそつきだ。… 決めつけた文
    これは、いわば「断定+予想」とでも呼ぶべき文であり、事実からは最も遠いことになる。つまり、④は、「彼」の人柄に対する評価・断定が加えられた文であり、具体性がないというだけにはとどまらない危険がある。「うそつきだ」という表現は、「今後もうそをつくだろう」という予想まで含んでくるのである。

    日常生活の中で、右の③や④の表現はかなり用いられているのではないか。「彼は誠実な人だ」「彼は怠け者だ」などの類である。それらが書き手(話し手)の判断であると承知していればよいのだが、それを事実と考えてしまっては困る。「誠実な人だ」「怠け者だ」という言葉は、いわば人間にレッテルをはったようなものであり、その人のすべてを一面的に分類したことになるからである。

    ※練習問題を解いてみよう。

    [1] 次の各文はそれぞれ「事実」を述べた文か、「推論」を述べた文か区別しなさい。

    ①お店でリンゴを百円で売っている。
    ②佐々木君は、友達をかばって自分からその役目を引き受けた。
    ③中村君は満足して笑っていた。
    ④昨日午後一時ごろ、校門前でバイクと軽自動車との衝突事故が起きた。
    ⑤鈴木君が包丁で切った傷口は痛そうだった。
    ⑥鈴木君は成績がよいからきっと勉強家だ。
    ⑦富士山は日本一高い山だ。
    ⑧アインシュタインは偉大な科学者だ。

    (解答)事実:①④⑦

    [2] [1]のうちの推測を述べた文はどのような条件なら事実を述べた文になるか.

    ②③⑤⑥は本人に確かめたときに、事実だと確かめることができればよい。
    ⑧については「偉大」の基準があれば判断することが出来る。

    [3] 次の(例文)a、b、c、はそれぞれ、
    ①観察した事実、あるいは誰かによって観察された「事実」についての、正しいか誤りかが確認できる発言。
    ②わかっていることをもとにわかっていないことについて「推論」した発言。
    ③話し手の評価・価値判断など「断定」を含む発言。
    である。

    (例文)
    a、敬子さんが歌を歌いながら歩いている。…… ①事実
    b、敬子さんは今日機嫌がいいのだろう。 …… ②推論
    c、敬子さんは明るくていい人だ。    …… ③断定

    同じように、次の各組の発言を(①)~(③)に分類しなさい。

    1、ア、プロ野球の××球団はやる気のないチームだ。
    イ、プロ野球の××球団は昨日で十連敗だ。
    ウ、プロ野球の××球団は今晩の試合も負けるだろう。

    2、ア、○○がまた遅刻をしている。
    イ、○○はいいかげんなやつだ。
    ウ、○○は夜更かしをしたのだろう。

    3 ア、晶くんは社会性がない人だ。
    イ、晶くんは私におはようと言わなかった。
    ウ、晶くんは私のことが嫌いなんだ。

    (解答)1、③①② 2、①③② 3、③①②

    [4] ある「断定」は、いろいろな「事実」から導き出される可能性がある。
    例のように、同じ「断定」に結びつく、異なる「事実」を考えて書きなさい。

    (例)
    断定 「○○選手は野球選手の鑑だ」
    事実1「○○選手はけがをしても試合を休んだことがない」
    事実2「○○はファンにサインを頼まれて断ったことがない」

    解答例 〇〇選手は〇〇の施設の子どもたちを試合に招待した。

    ※「断定」は「事実」がどうかよりもその人の価値判断に基づくものなので
    どのように「断定」が行われるかというしくみを知ることは
    「断定」を客観的に評価するために必要である。

    [5] 「断定」について理解するためには、一つのことがらを①よい感じの表現②悪い感じの表現と、二通りの言い方をしてみるとよい。
    例えば「役員会から提出された新規の事業計画について、社長は三日後にようやく決断を下した。」という事実に対して、

    ①よい感じの表現 … 社長はきわめて慎重に対処する。
    ②悪い感じの表現 … 社長は決断力に欠けるところがある。
    という二つの「断定」ができる。

    それでは、次のことがらについて、二通りの断定を試みてみよう。

    ア、彼はただ一人、その提案に反対し続けた。
    ①よい感じの表現
    ②悪い感じの表現
    *ヒント ①信念 ②がんこ

    (解答例)
    ①彼は自分の信念からただ一人、その提案に反対し続けた。
    ②彼は頑固さからただ一人、その提案に反対し続けた。

    イ、野球部は毎日七時過ぎまで練習をしている。
    ①よい感じの表現 →
    ②悪い感じの表現 →
    *ヒント ①一生懸命 ②だらだらと

    (解答例)
    ①野球部は毎日七時過ぎまで一生懸命練習している。
    ②野球部は毎日七時過ぎまでだらだらと練習をしている。

    ※このように同じことでも立場の違いによって同じ事実から全く正反対の内容で表現することができることに注意したい。
    自分に有利になるように文を書くのは当然のことであるが、相手が事実を有利に表現するために行っていることを鵜呑みにしてはならない。

    [文章を書く時の心得] ①文章を書く場合、事実だけを羅列したのではよい文章にはなりにくいし、書き手の意見だけを繰り返しても説得力のある文章にはならない。
    具体的な事例と、自分の判断や見解などとを、適切に組み合わせることが大切である。
    ②その際、自分の推論や断定については、それが自分の意見であることを明示した形にするよう心がけたい。
    事実と意見との区別には難しい点もあるのだが、表現方法などを工夫することによって、読み手にもよくわかるようにしたい。
    ③なお、文章中に他人の意見(著書・論文・話など)を引用することがある。とりわけ論説的な文章においては有効な方法であるが、その場合も、引用する部分と、自分の意見を述べる部分とを、明確に区別して、両者が混同しないように書かなければならない。

    2020/7/9
    ◆フランスの作文教育と考える方法(中島さおり「哲学する子どもたち」より) 前編

    わたしは現時点ではフランスの作文教育が世界で最もすぐれていると考えています。
    その理由を中島さんの著書「哲学する子どもたち」を紹介する形で説明します。

    話は「哲学」のバカロレア受験参考書から始まります。
    バカロレアは最近知られるようになりましたが共通大学入学資格試験です。
    フランスの学校で教えている「哲学」とはどんなものか?
    参考書の第1章「バカロレアにおける二つのタイプの設問に対処するための一般的な方法論」。
    この二つのタイプの設問というのは、一つが論述でもう一つがテクスト説明。
    テクスト説明は哲学者の書いた文章の抜粋が与えられて、それを論評するもの。
    中島さんはこのうち「論述」の力を取り上げて話を進めます。

    論述の出題は「芸術作品には必ず意味があるか?」というような哲学的な問いに対して、自分で仮説を立て、論証していく形式です。

    受験参考書は言う。
    「論述とはどういうものであるか。それは哲学についての言述ではなく、それ自体が哲学的な言述でなければならない。つまり、主題についての明確で厳密な問題提起に立脚して、それに対して説を唱えるものでなければならない。説とは、問題への答えである。君たちの持っている知識を使いながら、哲学において、可能な説の有効性を証明することである」

    「私が本当にすごいと思うのは、私たちが日本で高等教育を受けても一度も習わないことを、フランス人たちは、どこにでもいる高校の先生に習っているということなのだ。それはサルトルがどう考えたとか、ニーチェが何を言ったとかではない。「抽象的にものを考えて他人に示すにはどのようにやるか」という実に具体的な方法である。(中島)」
    これより詳しいことは本書を読んでもらう方がいいのですが(買って読む値打ちがある本です)

    具体的な話を進めましょう。
    論述文を書くには、まず序論、本論、結論がなければならない。これは目新しい話ではないでしょう。
    しかし、序論の内容となると日本のやり方と全く違います。

    Ⅰ 与えられた問題を自分の言葉で書き直す
    試験官はまず、受験生が問題の意味を理解したかどうかを見ます。
    そのため受験生は自分の理解を示すために問題をリライトしながら
    同時に出てくる用語を定義していきます。

    これが論を発展させるための「概念化」の作業です。
    論を立てるための基本は書き手と読み手の間で共通に言葉を使うことです。

    かつて「リセ」が旧制高校扱い(今は中等教育)だったときには
    「哲学学年」といって丸1年かけて重要な概念について学生が討論していました。
    この流れがあるから、制度が変わった今でもフランスでは極左から極右まで党派にかかわらず
    上に立つ立場の人間は同じ言葉で議論できるのです。

    Ⅱ 論理は二つ以上
    次に問題提起をします。
    問題提起というのは、「与えられた主題に、論理の一貫した答えが複数あって、それが互いに矛盾するという構図を作ること」です。
    フランスの哲学の試験では、高校生は少なくとも一人で二つの論理を発展させなければ、答案を書くことができません。
    自分の思い込みを一方的に唱えるのは「考える」ということではない。
    そう学校で教えられている。
    「異なる説を自分で発展させてみて突き合わせる知的な練習をしていれば、自分と異なる意見に耳を傾ける習慣も自然とつき、議論をするペースが築かれるだろう。まったく噛み合わない自説を主張するばかりで「いろんな意見がありますから」で終わる不毛な議論が起こる回数も減ると想像する。(中島)」

    特別の才能がなくても、普通以上の高校生であればこの訓練を受け、実行しているのです。

    「そう学校で教えられていることにまず驚いてしまう。
    異なる説を自分で発展させてみて突き合わせる知的な練習をしていれば、自分と異なる意見に耳を傾ける習慣も自然とつき、議論をするペースが築かれるだろう。まったく噛み合わない自説を主張するばかりで「いろんな意見がありますから」で終わる不毛な議論が起こる回数も減ると想像する。

    Ⅲ 対立する論点から結論へ
    複数の説を押し進め両方の説を調整して別の道を見つけ出す。
    ここが「展開部」になるわけです。
    そうすると結論にあたる部分が効果的に引き出せる。
    さらに
    「結論」は「序論」と「本論」で扱ったことの混合であってはいけない。
    「第一部と第二部で使わなかった考えを第三部のためにとっておけ」
    日本の小論文の指導がときどき、「結論は序論と同じことを繰り返せ」と言っているのとは全く違うのです。

    わたしは仕事柄今まで高校入試の膨大な量の作文を読んできましたが
    (残念ながらトップ水準の子たちの文章を読む機会はありませんでしたが)
    感想の一言
    みんな書くことが同じで
    「全然面白くな~い」「読むのが苦痛」
    当然、ここでの面白さは「受けを狙え」、「個性を主張」や「興味本位に書け」ではありません。
    文章が上手下手以前に魅力と言わなくても読み手に納得させるような文にお目にかかれないのです。

    今は少しましに成ったようですが
    一時東京大学に合格しても小学生のような文しか書けない子が少なくないと問題になりましたが。
    (東京大学の教員のリークです)

    後編に続く

    2020/7/10
    ◆フランスの作文教育と考える方法(中島さおり「哲学する子どもたち」より) 後編

    前編からの続きです

    Ⅳ 哲学者の役割
    そして
    文を書く中での引用や知識をどう考えるかということです。
    「フランスの「哲学」という科目では自分の考えを発展させることが優先されているが、だからといって、哲学者の言ったことを勉強しないで勝手に考えてよいわけではない。・・・ 哲学を学ばないで、「考える力」だけつけようとするのは、技術を学ばないで船を作ろうとするようなものだろう。」(中島)

    日本ではほとんど無視されていますが
    論文を書くときの訓練には「基礎論理学」が必要です。
    これって「哲学」の分野です。
    基礎論理学の訓練なしで(感想文ではなく)論文を書くのは大変むずかしいことです。
    当然、論理としてまとまった形ではなくても文章作法の中には含まれていなければなりません。
    フランスの普通教育では他人を無視しないように筋道をとらえさせることで
    作文を書く訓練の中で論理の基本練習がされているようです。

    ここでは知識量だけを問うのではなく
    (知識が不十分ならやっぱりよい文は書けません)
    知識が自分の中でどう捉えられているか、活かされているかが問われます。
    それを示す方法として作文があるわけです。

    儒学の一派に「陽明学」というものがあります。
    幕末の志士(勤王も佐幕も)と呼ばれた人たちを動かしたのはこの学問です。
    日本の歴史をつくった思想といってもいいでしょう。
    陽明学の基本は儒学主流の朱子学が客観(正しさ)を重く見たのに対し
    行動を重く見たことです。
    王陽明の言葉に「五経(聖典)は心の脚注(参考)である」とあります。
    陽明学は実践の学問です。
    実践で初めて知識の意味が問われるのです。
    自分の考えに文という形を与える。
    これも実践の始めといっていいでしょう。

    このような試験ではカンニングのしようもありませんが
    日本なら採点の基準で公正さが保てないとか苦情が出てくると考えるでしょう。
    (日本の新共通テストではこれが問題になっています)
    フランスでは書く方も評価する方もノウハウがあり
    苦情が出ないだけの積み重ねができているのでしょう。
    教師に説得できるだけの評価能力があるということです。
    (残念ながら日本の教員にはこれがないのです)

    でも、フランスの元大統領の回想によれば
    バカロレアの受験中に前の席に座っていた女の子が解答に困っていたようなので
    親切にも自分からすすんで代わりに答案を書いてあげて
    (残り時間で自分の答案をつくった)
    そのために自分は試験に通ったものの最優秀は逃した
    そんなことを書いていました。
    なかなかお茶目な人です。

    それでも不正入試などと騒がないのはさすがにみなさん大人です。
    (有権者として問うことは大統領としてすぐれているかどうかです)
    これぐらい博愛の人でなければフランス大統領は務まらないのでしょうかね?

    哲学に限らずフランスのバカロレアの出題は全記述の形をとり、基本的な流儀は同じになっています。
    哲学だけがという事ではないのです。

    最初はフランスの普通教育の事情を知るために偶然買った本ですが
    読み始めたら書き手の中島さんの能力の高さに腰を抜かしました。
    文章の明快さでそれがわかります。

    実は30年ほど前に当時のリセ(旧制高校)の哲学学年のしくみが非常にすぐれていると聞いて
    調べるために当時ネットもなくフランス語が読めないわたしとしてはある限りの努力をしましたが
    専門家という人たちの話がまったく分かりませんでした。
    わたしのものわかりが悪いせいかと思っていましたが
    中島さんの書いていることを読むと専門家の方が全く何も分かっていなかったというのが感想です。

    おかげで20年以上回り道をしましたが
    定年の直前にこの本に出会い
    10年来構想してきた『論文トレーニングシステム』最後の骨組が出来上がりました。
    半年後、短い文章しか書けない子に長文を書かせるための技術が解決できて完成することができました。

    ※わたしのプランの概要は次のとおりです。
    素養のある人はこれだけでわたしの方法を理解することができると思います。
    『論文トレーニングシステム』はこのプランを実現するためにフランス式作文術を日本語で訓練するための課題群です。
    (権利関係未整理のため契約者以外には公開しません)

    論文は「起承転結」で書いてはいけない これからは公の表現の訓練が必要になります
    https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12498626073.html

    考える方法と論文の作り方 公的論文の書き方 その1 全体の構図
    https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12499003548.html

    考える方法と論文の作り方 公的論文の書き方 その2 論文の形式
    https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12499330343.html

    考える方法と論文の作り方 公的論文の書き方 その3 実例とワークシート
    https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12499721374.html

  • 国語の基礎 何から始めるか

    §1 「ふくしま式」の薦め

    直接受験のためには役にたたないが
    分かりきっているはずと思うことを
    もう一度おさらいするのが目的です。

    問題が解けているので別にかまわないと思っていることは
    普段は気になりませんが
    本当に切羽詰まったときこそ
    自分の分かっているかどうかが大きな意味をもってきます。

    特に数学を重点的に取り上げます。
    それは国語・英語に比べれば数学ははるかに短い時間で得点力をアップできるからです。
    国語・英語は上達のためにやはりそれなりの時間が必要になります。

    国語についてはこれまで何度か書いています。
    わたしは国語の基礎練習では「ふくしま式」を薦めています。
    『ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集』
    『ふくしま式「本当の語彙力」が身につく問題集』
    在職のころから効率よく、効果的な基礎トレーニング法を工夫してきましたが
    わたしの努力よりもこのほうがすぐれていることに気づいたからです。
    わたしは作文の訓練を通して次のレベルの訓練を工夫することに集中した方がいいと考えました。

    《小学生版》と書いてありますが、小学生でも使えるような文例で、ルビがふってあるということで
    十分大人でも手応えがあります。
    むしろ
    自学自習できないわけではありませんが
    効果的に使うためには基本をよく知っているコーチが必要になるシステムです。
    それによって何倍も効果的になり、時間も短縮できます。

    言葉を学ぶ、言葉で学ぶ(何をどう学ぶのか)
    https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12495957471.html
    書く技術の基本~言葉を増やす、論理を通す、書く形を作る
    https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12496278993.html
    国語はすでに読む時代から書くに時代に変わっています 気づかないのは学校と教員だけ
    https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12575250687.html

    なお、准看護学校の受験ですが
    本来、受験資格は中学校卒業程度ですから
    受験科目に英語がないのが普通
    数学も中学校の範囲が普通ですが
    一部の学校ではすでに高校卒・大学卒の受験が当たり前なので
    看護学校と同じ受験科目で受験させる学校がでてきています。

     

    §2 オトナは読むことよりも書くことを優先する理由

    子どもの学習が受験の形にとらわれてしまうのは
    日本社会のあり方を変えなければどうしようもないことです。

    わたしも将来の見通しということでは考えはありますが
    自分が今の受験を変えるという大それたことは考えていません。

    しかし
    オトナが学ぶということでは全く違います。
    大人にとっては受験・修学は全く手段です。
    というか割り切っていいと思います。
    (わたしの目的は大人が安定した仕事に就くことです)

    だから
    まだ先の時間がある子どもとは違って
    大人は受験を通して自分の能力を上げなければ
    ほとんどの努力が無駄になってしまいます。

    ですから
    わたしは読むことよりも書く訓練を優先させることを薦めます。
    子どもがより上のランクの大学に入るためには
    むずかしい問題を解くことを考えなければなりませんが
    わたしが薦めているのは
    実務の訓練をするための学校です。

    特にむずかしい入学試験をするところではありません。
    基本能力さえ上げれば十分な読解問題しか出ません。
    解くためのテクニックを必要としません。

    言ってみれば
    車のレースで
    テクニックを使わなくても
    より大きなエンジンを積めば勝てるレースに例えることができます。

    基本となるのは
    実務では(訓練でも)絶対に必要になる書く力をつければいいのです。

    わたしが薦めている「ふくしま式」は短文を書くことで
    読む力を付けるやり方です。
    ですから
    わたしは大人のためには書く訓練でそのまま書く能力を上げる。
    それで基本的な読む力もつけることができると考えています。

    前回は「ふくしま式」は自学自習できるものだが
    よいコーチがいると何倍も効果的になると言いました。
    「ふくしま式」はコーチが課題を正しく評価することによって
    解く者がより理解が進むトレーニング法なのです。

    いくら自学自習ができるといっても
    教材が何を目的にして
    どんな段取りでそれを進めるのかの理解が必要です。
    解答解説には説明がありますが
    これはやはり教える経験があるのとないのでは
    全く理解の度合いが違うのです。
    そこが分かって始めて効果的な評価ができるのです。

    わたしが「ふくしま式」を薦めるのも
    方針や方法、トレーニングの進め方について
    納得できるだけの検討、各セクションの使い方の理解ができたからです。

    その上で今まで何の検証もなしに勘や慣れで行われてきた国語の訓練を
    大人に必要な内容の訓練に変えていきます。

    論文は「起承転結」で書いてはいけない これからは公の表現の訓練が必要になります
    https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12498626073.html

  • 英文を読むための基礎

    §1 英文多読のススメ 多読とは文章を分析しないで大意を把握する読書法です

    ここでは「SSS英語多読研究会」の多読法を紹介し
    わたしが実際に行ってみた感想を書きます。
    http://www.seg.co.jp/sss/index.html

    ◎多読とは、文章を分析しないで大意を把握する読書法です。
    SSS(Start with Simple Stories)の多読法は、従来不可能であると思われてきた英語初級者でも楽しく始められ、楽しく続けられる多読法です。

    ◎100年前から常識だった多読
    昔から多くの英語教師が、「英語を獲得する一番良い方法は多読である」と主張しています。
    多くの英語教師たち、夏目漱石や松本亨といった人たちも多読を勧めています。

    ◎なぜ多読が普及しなかったのか?
    しかし、今までは、多読は上級学習者にだけ許された学習法でした。
    英語教師が勧めていた「やさしい本」がむずかしすぎていたからです。
    高校生・大学生相手でもPGR2-3(基本語彙600-1200語レベル)の本から読み始めさせるために、1年間の学生の読書量も、1万語~10万語くらいのものでした。

    ◎勧めるのは非常にやさしい本からはじめ、100万語単位で読む多読です!
    SSS英語学習法研究会の進めるすすめる多読は
    非常に易しい本からはじめて
    旧来の多読法の10倍以上の種類の本をつかうことにより
    従来の多読の10倍以上の量の英語を読む多読法です。

    ◎従来の多読法と違い、無理なく基礎力が付きます
    英語初級者の場合、100万語読んででやっと(旧来の多読の出発点であった)PGR2-3レベルに進む位のゆっくりさです。
    従来の多読法と違い、年間100万語~200万語読むことが十分に可能です。
    (わたしも1年では無理でしたが13ヶ月で100万語を読みました)
    はじめはゆっくりなのですが、1年後、2年後の成果では
    今までのどの多読法よりも、また精読法よりもはるかに高い効果を得ることができます。

    実際わたしはほぼ36ヶ月で「270万語」読みました。
    不思議なことに今までいわゆる精読をしていたころは
    読んだ後から気になった文を探し出そうとしてもどの部分だったか探すのが大変だったのですが
    多読だとすぐに探し出せるのです。
    そして、精読していたころは読んでいる内に先に読んだはずの本文を忘れていることに気づきました。
    精読よりも多読の方が本文を覚えているのが不思議でした。

    *「精読」・・・ ここでは普通におこなわれているように分析しながら漢文を読むように前後をひっくり返し本文を読むことを指します
    多読では文の頭から順に読んでいきます。
    多少英文が読める人でもその技術を身につけるためには中学1年のレベルのぐらいの文から始めないと慣れることができません。
    わたしも幼児向けの絵本から読み始めました。

    また
    あとから気づいたのですが
    いつの間にか基本単語のスペルが暗記せずに頭に入っていました。
    ただし
    主従関係が複雑な文とセンテンスが長すぎる文は
    やはり高いレベルでの多読ができていないと読むのがむずかしいのは事実です。
    でも
    最近の大学入学試験では恐ろしいほど本文が簡単になっています。
    わたしが受験生のころは19世紀の荘重な文体を読むことが勧められたくらいでしたが
    今時、そんな文章を出すところはないでしょう。
    医療の専門学校ならトップレベルでなければ十分多読で合格レベルの読みができます。

    わたしは多読をしたときに自前でテキストを買い
    その後も買い足したものがありますので
    現在、英文Graded Reader300冊以上、英文児童書が350冊以上あります。
    *Graded Readerとは本文の長さや文法、基本語彙数で段階ごとにテキストを分けたものです。

    現在、わたしが持っているGraded Reader、英文児童書は無料貸出しています。
    (ただし、デポジット制です)

    「Graded Readerリスト」はこのサイトの中の「Graded Reader」からダウンロードできるようにしてあります。

     

    §2 なぜ、英語は文型が大事なのか Englishの歴史から知る

    Englishと日本語は非常によく似たところがあります。
    それは言語の歴史から言うとともにズタボロな言語だということです。
    互いに何度も外国語の影響を受けて吹きだまりのようになってしまったことです。

    Englishは今のドイツ語の先祖に当たる言葉を使っていた部族がブリテン島(イギリス本島)に渡った時から始まります。
    この時代は「古英語」と呼ばれます。
    その後、ブリテン島は北欧部族の草刈場になりいろいろな部族がやってきて
    古英語にいろいろな影響を与えます。
    (幸村誠『ヴィンランド・サガ(VINLAND SAGA)』の舞台です)

    その中でも
    大変強い影響をブリテン島に与えたのがThe Norman Conquest of Englandです。
    当時のフランス語を話す部族がイングランド(ブリテン島の中央部)の支配者になり
    支配階級はフランス語、下層階級は今までの言葉を使っていました。
    特に、名詞は強い影響を受けます。
    (現在のEnglishでは同じ物を指す言葉にフランス語由来のものと古英語由来の両方ことが多い。
    豚はブウブウ鳴くのがpigで料理の皿に載るとporkなど)
    しかも、いつの間にかこの複数の言葉が入り乱れる中で
    古英語の文法も影響を受けてしまい、文法が単純化されていきます。
    そして、下層階級しか話さない言葉であれば
    誰も正式な使い方など気にしなくなります。
    (学問上はこれを「クレオール化」と言います)
    ここに現在に続くEnglishの形が出来上がったわけです。

    実は日本語も外の言葉の影響を強く受けたという点では
    事情は違っても同じようないきさつがあります。
    そのうちに「国語キソのキソ」で書きます。

    以上は一般言語学の素養がある者にとっては当たり前の知識ですが
    英語だけを必要な外国語と考える者には気がつけないことです。

    それでは今のEnglishがどんな独特の形を持つようになったか説明します。

    Englishも含まれる言語史上で「印欧語族」と呼ばれる系統の言語には共通の特徴があります。
    代表的なものは「格」や「性」といったものです。
    「性」というのは名詞が「男性・女性・中性(Englishの場合)」に分類され
    特に代名詞ではそれを意識する必要があるということです。
    これで減点、不正解にされた人も多いと思います。

    それでもまだ、「性」は分かりやすいと思います。
    「格」と言われると英語でも「主格」「目的格」などという言葉は聞いたことがあると思いますが
    言っていることがよく分からない人も多いでしょう。
    日本語でも「~が」「~に」「~を」といった「格」をあらわす働きがあります。
    日本語ではこれらを示すために「格助詞」と呼ばれる言葉が使われています。
    文法上の説明をするとむずかしいのでしません。
    肝心なことだけ言います。

    印欧語族の子孫フランス語、ドイツ語、イタリア語・・・ では
    この日本語の格助詞の働きが動詞や名詞では形が変化(格変化)することで示されます。
    つまり、性でも変化するが「格」でも変化するということです。
    名詞・動詞の格変化で「て・に・を・は」を示すことができます。
    そうすると語順にとらわれなく文を書くことが可能です。
    日: 私が りんごを 食べる。 / りんごを 私が 食べる。
    独: Ich esse den Apfel. / Den Apfel esse ich.

    ところが
    Englishは外の言葉と混ざってしまう間にぐだぐだにされて代名詞を除いて格変化を失ってしまいます。
    そうすると
    Englishの文では名詞は自分で「て・に・を・は」を示すことはできず
    「格」の働きは単語の文中の位置でしか示すことができません。
    語順が変わると名詞は文の中で指されることが変わってしまいます。
    I eat an apple.  が An apple eats I. になったら大変です。

    だから
    英語では五文型を理論的に徹底重視する人が多いのです。
    五文型にとらわれずに体感での慣れを重んじる人もいます。
    それでも、目標は同じです。

    歴史の中でグダグダになったEnglishはそのおかげで
    世界の言語のうちでは文法上わかりやすい言葉になりました。
    だから
    日本語を話している人間からすると他の言語よりもEnglishが取り付きやすいのです。
    (ドイツ語・フランス語・ロシア語より覚えることが大変少なくてすむ)

     

    §3 初心者の基礎練習には「並べかえ問題」が役に立ちます

    英語の初心者や在学中にあまり得意ではなかった子のために
    そして、苦手意識をもつ人のためには
    まず、怖がらずに慣れるために発音と音読から始めるように言ってきました。

    ※①不得意でも、まず、怖がらずに慣れることです 発音と音読から始めましょう
    https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12604537662.html
    ※②リズム音読「なみのリズム」に注目
    https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12606249340.html

    その上で簡単な英文をたくさん読む練習に入りますが
    やはり、当然最低の文法や知識がなければ読むことはできません。
    今までのやり方を極端に分ければ
    *理解を求める
    *丸暗記を求める
    という二つのやり方になります。
    これは言葉を「習慣」ととらえるのか「論理」ととらえるによると思います。

    でも
    実際の言葉は
    言葉は習慣であっても合理性をもったものです。
    言葉は理屈にはしたがわなくても
    筋道をもっているという事です。

    そうすると
    言葉の練習法は
    説明はするが合理的な繰り返しをすることが一番の近い道です。
    理解はした方がいいのですが、理解しなければ身につかないものではないからです。
    当然、筋道を理解したほうが身につける手際がよくなりますが。

    初心者や不得意な子はまず最初につまづくのが「語順」です。
    言葉のしくみが違うので「語順」でとまどうことが多いのです。
    「語順」を身につけるためには
    なぜかということよりもどうなっているかということの方が大切です。
    その時に役立つのが「並べかえ問題(整序問題)」です。
    ところが
    「並べかえ問題」は大学入試向けの問題集はありますが
    英語の初心者用のまとまった問題集ってあまりないのです。

    初心者用では田地野彰さんが「意味順」書き込み練習帳を何冊か出しています。
    (NHK基礎英語 『中学英語完全マスター「意味順」書き込み練習帳』は手に入れています)
    内容は説明中心でいろいろな工夫がされているのですが
    繰り返しのためには問題数が少ないかなと思います。

    そこで見つけたのがKUMONの中1~中2用の三冊本の「並べかえ問題」集です。
    くわしく文法の説明はしていなくても、簡単な並べ替え問題を通じて、無意識に英語の感覚が身につくはずです。
    KUMONについては賛否両方の受け取り方がありますが
    いつも実際の必要に目が向いているのが感心するところです。

  • 英語が不得意なあなたが学ぶためには まず、慣れることから

    §1 不得意でも、まず、怖がらずに慣れることです 発音と音読から始めましょう

    わたしの英語の基礎練習の仕方は次のコラムにかいてあります。
    英語ができない人は 発音と音読から始めましょう まず、怖がらないことです
    https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12574307047.html

    ここで取り上げるのは大人が資格を取るために医療の学校にはいることに絞っての基礎練習の仕方です。
    准看護学校は英語がないのが普通ですが
    一部で看護学校と同じ科目の試験をするところもでてきています。
    その場合は英語が必要となりますので
    受験校を選び時にはよく考えないといけません。

    よく入学試験で医療の英単語が出るという話を聞きます。
    一部の看護学校ではそんなところもあるかもしれませんが
    実際には特別な単語は注釈が入りますので気にする必要はありません。

    ただ
    気にしないといけないかもしれないのは
    体にかかわる単語で日常当たり前に使われているが
    日本の学校英語では使われていない意味があるときです。
    「body」のようなケースです。
    普通の学校英語で絶対使われることがない使い方です。
    何を指しているか自分で調べてみてください。

    わたしが英語のトレーニングをするときに一番困るのは
    他の教科と比べても個人差が大きく
    しかも
    数学と違って短い時間で上達がむずかしいことです。
    (数学は特別にレベルが高くなければ本気であれば結構どうにかできます。
    というか、そのノウハウはあります)

    英語はどうしても時間をかけることが必要です。
    ただし
    今、新共通試験で話題になっている四技能(Reading、Listening、Speaking、Writing)のすべてを身につける必要がないことが救いです。

    特に
    英語が全くできない(自信のない)人はどこから始めればいいのでしょう。

    まず
    無条件で慣れることです。
    外国語を学ぶとは慣れることです。
    慣れるための一番いい方法は
    言葉を発音することです。
    次に文を音読することです。
    ヘタでもかまいません。
    その言葉がもっている感覚に近づくことです。

    確かに
    これは受験にはあまり出ません。
    (言葉のアクセントや文のイントネーションの問題で出るかもしれませんが)
    それでも
    不得意な人が言葉に慣れ、自信を持つためには一番近くて合理的な方法なのです。
    慣れていくうちに自然に文の形(それが文法です)が身についていきます。
    読む量が多ければ言葉(単語)を覚える練習にもなります。

    仕事や生活に追われながら受験勉強をするのは大変です。
    大変であっても習慣を作っていけばいいのです。
    そして
    それが入学後の助けになります。

    具体的な練習方法ですが
    ①言葉の発音を学ぶための方法として「phonics」があります。
    ②文の読み方の練習として「なみのリズム」という練習方法があります。
    これは直接native speakerに頼らない
    自学自習のために作られた合理的な方法です。

    わたしが目的としているものはnative speakerのようになることではなく
    最低限の自信をもつために英語に慣れることです。
    そのために発音と音読は一番速く効果が目に見えます。

    ①②をやって
    拒否感さえなくなればあとは普通に基礎の英文の練習をして
    あなたが受験する学校のレベルまで能力をあげればいいのです。

    そして
    最後に過去問題で自信をつければいいのです。
    ここまでやれば入学後英語が必要でなくても
    あなたは自分で不得意なことをクリアしたのですから
    学んだことが入学後の学校での訓練に役立ちます。

     

    §2 フォニックス(Phonics)をするなら『あいうえおフォニックス』を薦めます

    わたしは英語(日本の学校で教えているもの)は
    Englishと違った考え方の上に成り立っていると考えています。
    そこに日本の英語がどれだけ高度になってもEnglishになれない理由があります。
    その理由は追々説明していきますが
    日本の学校教育でPhonicsを無視していることなどはその最たるものと考えています。

    Phonicsとは単語のスペリングと発音を結びつける練習をいいます。
    われわれが日本人だから英単語を発音できないのではなく
    実はEnglishはnative speakerでも最初はスペルを見て発音できないのです。
    ですから
    まず、子どもがEnglishを読むためには大変大事な練習になります。

    日本人が冒す最大の勘違いは正しいEnglishがあるという考え方をすることです。
    現在、Englishを話す人、学んでいる人は20億人ぐらいと考えられています。
    そのうち第一言語として話す人は4億人ぐらいです。
    そうすると現在Englishを使う人の80%は外国語として使っていることになります。

    圧倒的に多くのEnglishを使う人は正しいかどうかわからない(確信をもてない)上で使っているのです。
    (自分が生まれ育った言葉ではありませんから何が正しいかという判断がむずかしい。
    それでも〇国では自分のEnglishは世界一正しいと堂々と言ったりする人もいますが)

    加えて
    native speakerであっても米語・英語・豪語にははっきりした違いがあります。
    今時「King‘s(Queen’s) English」が唯一正しいなどと言う人もいないと思います。
    すでに、どこでも正しいEnglishなどないということです。

    ですから
    自分が生まれ育ったEnglishを除いて正しいものがあるという考え方自体に意味がないのです。
    (誰だって自分の母語が正しいと思っています。それでも方言という問題はありますが)

    そうすると
    日本語で育った日本人が使うEnglishはもともとJapanese Englishなのです。
    だから
    多くのEnglish話者に受け入れてもらえるEnglishであるならば
    最初から母語とは違うものですから日本流として堂々と使えばいいのです。
    実際、ある大学教授の個人的なアンケートでは非native speakerの間ではJapanese Englishが一番聞き取りやすいという結果だったと聞いたことがあります。
    すでにEnglishが世界言語である理由はnative speakerだけの言葉ではなくなっているという所にあります。

    わたしが『あいうえおフォニックス』を薦める理由としては「(幻想の)正しい発音」にこだわることなく
    日本語のくせがあっても通じるなら堂々と使えばいいという考え方をしているところにあります。
    (これがないから日本英語はどれだけ高度なものでもただの真似でEnglishの内の一つにはなれないのです)
    その上でよい発音(判別できる発音)とは何かということを追究しています。

    効率よく練習するためには本になっているもの(株KADOKAWAが出版)を使った方がいいと思いますが
    YouTubeだけでも練習が出来ます。
    YouTubeのサイトで「あいうえおフォニックス」で検索すればすぐ見つけることができます。
    それも薦める理由です。

     

    §3 フォニックスだけではまだ発音には不十分です リズム音読「なみのリズム」に注目

    広い意味でのフォニックスは単語の発音も含みますが
    本来の意味でのフォニックスは母音・子音の発音と綴りを結びつける練習を指します。

    実際のEnglishの感覚がなければ
    母音と子音が発音できればこれで単語の発音ができると考えるのは当たり前です。
    もう少し知識があると
    そうか日本語とはアクセントが違うのか!
    と考えますが
    アクセントを合わせても
    それでもまだEnglishにはなりません。

    これは実際のEnglishをマネしつくして身につけるか
    (何となく違いを感じても体験だけではどうすればいいのかわからない人も多いのですが)
    それとも
    音声学(発音のための学問です)で理論的に極めるかしかありません。
    Native speakerだからといっても意識できていないことがありますから
    Native speakerに学んだからといってわかるわけでもありません。

    では、何が足りないのか?
    辞書を見てください。
    単語を区分けしてあるのが分かると思います。
    その分けてあるものを一つ一つを「シラブル」と言います。
    シラブルは日本語でいえば「音節」、単語をさらに分ける単位です。

    日本語では音節の基本は子音+母音でできています。
    拗音のように子音が重なる場合もありますが
    基本、「子音+母音」の一対一が1セットの音節になり
    大体は一つ一つの音節を同じリズムで発音していくことになります。
    たとえば
    「こんにちは」は こ(ko)・ん(n)・に(ni)・ち(ti)・は(wa)となります。

    ところがEnglishではシラブルのリズムが日本語よりも複雑になります。
    たとえば
    「permit」 は per・mit つまり、2音節から
    「important」 は im・por・tant  3音節から
    「spring」は1音節からなる語
    という風にです。
    (正確には日本語の音節とシラブルの考え方には違いがあるようです)

    そして
    日本語の音節との違いは
    Englishでは1シラブルが何文字であっても1シラブルどうしを同じリズムで発音します。
    例で言えば「important」の「im」と「spring」は同じ1音節でも文字数がちがいますが同じ時間(リズム)で読まなければなりません。

    これができなければ
    どんなにEnglishらしい発音ができてもEnglishには聞こえないのです。
    これができただけでも発音する子はものすごくEnglishらしく発音ができた気になります。

    当然
    日本人がこのシラブルの特徴を知らなければ聞き取るときにもハンディキャップになります。
    特に子音が消えることが多い米語では非常に聞き取りに困ります。

    このことは体験的には気づいた人たちがいたはずですが
    はっきりと気づいて意識して英語教育に取り入れたのは
    高校・大学で英語教育にたずさわった
    寺島(隆吉・美紀子)夫妻です。

    英語教育が専門ではないわたしが
    英語の受験トレーニングをどんな立場で行うか考える時に
    夫妻の仕事には大変助けられました。

    寺島夫妻のことはさておき
    実際にはシラブルはアクセントと結びついてEnglishらしい発音になります。
    わたしが知っているかぎりでは
    それを含めた一番実際的な練習方法が
    「なみのリズム」です。
    http://naminorism.com/strength_rhythms/

    このトレーニング方法を開発したのは
    岡山で「英語のlearning design」をやっている「かみじょうあさこ」さんです。
    英語のlearning designとは聞き慣れないことばですが
    「英語の学習法の全体像を伝え、生徒さんのレベルや資質に応じた学び方をデザインし、実践していくお手伝いをすること」だそうです。
    上達したい人は一度訪れてみる価値があるサイトです。

    わたしはトレーナー・コーチとしては
    自分の限られた力に頼るよりも
    日頃から
    十分な力がない子のための
    目的に応じたいち番合理的な上達法・
    一番取り組みやすい方法がないかを探し回って
    それをどう役に立てれば一番効果的なのか考えています

     

    §4 伝わる発声(発音)とは 日本人が学ぶ必要がある英語(English)とは

    ここで話がしたいのは
    専門にEnglishを学ぶことができない人が何を目標に学べばいいのかということです。
    (わたしはたいてい、英語は「学校英語」、実用で使われているものをEnglishと呼びます)

    学校の教師や専門家は勝手に暴走するものです。
    自分の教科・専門以外を考えずに、分からずに
    自分の専門のレベルだけをどうのこうの言う人が多いのです。

    現在、学校英語ではレベルの高い4技能(読む・書く・話す・聞く)を目標にすることになっています。
    でも
    考えてみてください。
    すべての人が高いレベルの英語を学ぶなんて正気の沙汰ではありません。
    個人個人の能力がどうかという前に
    必要以上の高いレベルを学ぶ前に
    その子その子がやらなければならないことがあります。
    世の中すべてが英語の専門家になるわけでもないのです。

    数学、化学、スポーツ、職業訓練・・・ いろいろあります。
    すべての人がレベルの高い英語を身につけることができるわけでなないし
    身につける必要はありません。

    でも、できるならやっぱりできたほうがいいものです。
    確かに今の時代必要なだけはできた方がいいでしょう。
    大事なのはそのために労力・資源・能力をどう活かすかということです。

    労力と資源の使い方を大学の入学試験を例に考えてみましょう。
    100点満点の試験で
    50点までに点数を上げる労力と
    50点を70点までに上げる労力
    70点から80点までの労力
    (80点以上を取るためには才能が必要です)
    はほぼ等しいのです。

    つまり
    ほぼ完全である80点まで能力を上げるためには
    普通(50点)のレベルまで上げるための3倍の労力がかかります。

    ですから
    このことを頭に入れて考えると
    学ぶ必要を感じていても十分な時間・努力ができない人は
    目標の設定の工夫、労力・資源の配分で
    目的に必要なレベルを手に入れることができます。
    英語で80点を目指すよりも
    もっと、点数が取れていない教科に力を入れればいいのです。
    (ただし、点数が取れていないのですから、これにはコーチ・トレーナーの力を借りる必要があるでしょう)

    最初の話題に戻りましょう。
    外国語を学ぶとことは単純に言い切ってしまえば
    習慣を身につけることです。

    だから
    「努力×才能×経験」になります。
    外国語学習はどこにいても「努力×才能」は使えますが
    経験はその言葉を使っている所で積むしかありません。
    (特に「正しい」言葉を目指すとすればなおさらです)

    じゃ、日本で普通に学ぶとすればどうすればいいのか。
    わたしの元同僚の英語教師に
    高校生の時米国のハイスクールで学び
    日本で大学を卒業した人がいます。

    わたしは彼のEnglishの発音に感心していました。
    ものすごくきれいでペラペラなのかって
    いや、全く逆なのです。

    発音もあまり外国語らしくなく
    どちらかと言えば日本語の発音なのです。
    しかし
    リズム・イントネーションがEnglishなのです。
    そして
    非常に聞き取りやすいのです。
    きっと
    Native speakerが聞いてもよく分かると思います。
    実際、以前それで生活していたわけです。
    わたしはこのあたりに外国語を学ぶときの核心があると考えます。

    これは外国語を身につけるのには
    特に第二言語であれば
    完全なコピーを目指さなくても
    伝えるために必要なポイントを目指せばよいということです。

    学び方の研究をする人
    学ぶための道筋をつける者の能力とは
    よりレベルの高い訓練方法を目指すとともに
    その余裕がない者のために
    不完全であっても通用するために最も大事な部分を見つけ出すことです。

    多くの人は専門家になるために学ぶわけではありませんから
    基礎になる部分こそきちんと訓練するのです。

    わたしは英語教育が専門でもないし
    はっきり言えば外国語は不得意です。
    それでも
    初心者、できない人が必要な目標をクリアするための手助けはできます。
    たしかな基礎になるもの
    合理的で有効なトレーニング方法は
    専門家であるよりも非専門家の方が見えることもあるのです。