残念ですが 一生懸命だけでは意味がありません どうやって危機を乗り越えて成果を出すのか

新型コロナウイルス騒動の中
『新型コロナウイルスの真実(岩田健太郎)』を読みました。

わたしは岩田さんの言動に「ダイヤモンド・プリンセス号動画公開」騒ぎと「twitter」での書き込みのことで思いっきり不信感をもってしまいました。
それで、この人の話は聞く価値がないと思っていましたが
Amazonでこの本の目次を見たら話とは全く違ったことを言っているのです。

確かに一見言動が一貫していないように見えるところがあります。
では、なぜそうなったのか。

感染を抑えるためには
今、何が出来て何をするべきかを考えることが
一見正しく見えることを守るよりも
大切になります。

Twitterの書きこみは
「CNINA CDC(疾病管理予防センター)は信用できる。
CNINA政府はウソをつく利益はない」という内容でした。
そこには同時に日本政府へ皮肉も込められていました。
それを短いTwitterで書いたことに
CNINA政府の肩をもったという
誤解を受ける元があったのです。
(その点では本人よくないよ)

そんなわけで
起っていることをはっきりさせるために
(口述で)この本が作られたようです。

逆にこの行動は騒ぎが収まっていないうちに
かえって混乱させる元になると非難する人も出てきていますが。

わたしは岩田さんのことを公然と非難したわけではないのですが
まず、謝りついでに前書きとしました。

岩田さんの主張をわたしが受け売りをするよりも
直接本を読んでもらったほうがいいのです。

じゃあ、なぜこの本を取り上げたのかということです。

それは
岩田さんが言うところの
(混乱だと認めない人もいますので)
今回の新コロナウイルス対応の混乱の原因が
日本の政治・行政(たいていの企業も)に全く合理性・専門性がないことにあるという主張です。

成果を求めるために
事実と過程を検証するのではなく

「がんばっている」こと
「正しい答えにしたがう」こと
(正しいかどうかは偉い人が決めるという判断停止)
が大事で

やっていることの意味を議論したり否定すると
「和を乱す」と回りから批判される。

わたしは教師を30数年間やってきました。
岩田さんの主張から考えると
日本では教師ですら教育の専門家ではありません。

よく「授業がうまい」教師という評価があります。
でも
「授業がうまい」が実際に意味するところは
やり方を子どもたちが
「点数が取れる」
「手間をかけずできる」
と思うことです。

確かに
定期試験・入学試験で点数を取ることからすれば正しいと言えます。
でも
子どもの能力を上げるためには
ここで言っている「教えることがうまい」と
「教育の専門能力」をもつことは違うのです。

確かに
少ない努力で効果をあげようということは自然なことです。
しかし
普通教育(能力教育)で求めることは
手際をよくすることよりも
社会に出てからの先を見据えた上での基礎作りです。

基礎を作るためメニュー作りの知識・経験
メニューが効果的かどうかの判断
どれだけ子どもの能力が上がったかの評価
子ども本人には
どうすれば効果的かを自分で考え、判断を求める

これはすぐれて社会的であると同時に個人的な技です。
これらができることが教育の専門家です。

間違いなく
昔と比べると今のみなさんは授業がうまくなっています。

しかし
かえって「授業がうまく」なっていく中で
日本人の能力が大幅に下がっています。
実務の上では以前高校卒でできていたことが
学歴の水準が上がったはずの今
大卒でも十分できないことが起っているのですから。

岩田さんの批判は
むずかしいことは専門機関をつくって
能力をもった人たちを中心に
権限をもたせて解決する必要があるのに

今、起っているのは
責任のありかをはっきりさせず
文句を言わずに「がんばれ」とだけ言い
責任逃れのために身内でしか通用しない正しさを設定する。

しかも
それを批判すると「和を乱す」と黙らせようとする
ということです。

これまでは
現場で黙々と働いてきた人たちの犠牲で
結果的に危機を乗り切ってきただけです。

現場の人たちの力が、頑張りが尽きてしまったとき
その先はどうなるのでしょうか?
新コロナウイルス危機はその結果を明らかにしてしまうのでしょうか。

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