数学の基礎Ⅰ

§1 数には種類がある 自然数、整数、有理数、無理数、虚数

数には種類があります。
なぜ、数にはいろいろな種類があるのでしょうか。

現代数学は自由な前提から始まり論理が通ればよいとするものです。
ですから
数が実在するかどうかは問いません。
数が実在であるのか、観念であるのかは結論が出ていません。

数はもともとは自然数(1,2,3・・・)から始まりましたが
計算の必要で種類が増えていきました。

計算の幅が広がって新しい数が必要になると
実際にそれがあるかどうか疑問をもっても
計算の必要上認めるという態度を取ってきました。

その最たるものが「虚数(imaginary number=想像された数)」です。
日本語では「ウソの数」か「存在しない数」という意味になります。
(でも、工学・物理学では世界は虚数で出来ているといってもいいくらい大事な数です。
虚数は「ない数」ではなく数直線の上にはない数と言った方がいいのかも。)

数の種類には自然数、整数、有理数、実数(無理数)、複素数(虚数)があります。

①自然数(natural number) 目に見えるものを指すことから生まれた数です。
だから、負の数や分数、小数は入りません。それと0も入りません。
加法(足し算)と乗法(掛け算)が計算できます。

3×4=3+3+3+3 というふうに
掛け算は足し算の繰り返しと考えられています。

②整数(integer)
自然数に0と負(マイナス)の数を加えたものです。
自然数だけでは引き算ができないことに気づき
小さな数から大きな数を引いたときに表す必要から考えられた数です。
(自然数では「2+3」の答えは表せても「3-5」の答えを表すことができない)

ですから、3~400年前までは計算の都合のことであり数とは考えられていませんでした。
同じように、ないことを表す「0」も自然に思いつくことはありませんでした。
「0」の発見は人類史上の大発明とされています。
負の整数は同じ大きさ(絶対値)の正の整数と足すと0になる数と定義されます。

③有理数(rational number 比で示される数=割り切れる数)
簡単に言えば分数のことです。
(整数も一分のいくらが省略された分数と考えることができます)

割り算や分数が必要になると整数の範囲では示すことができません。
物は実際に割ることができるものとできないものがあって
割る(分ける)ということはなかなかむずかしい考え方でした。
「整数は神が創ったが、それ以外の数は人間が作った」と言った数学者さえいました。

個数ではなく量で量ることができるものについては大昔から分数が使われてきましたが
「小数」が当たり前に使われるようになってからわずか400年ぐらいの歴史しかありません。
(アイデアとしてありましたが実用化されませんでした)
100分のいくつ、1000分のいくつ・・・と考えていけば小数は分数の一種と考えることができますが
このアイデアが実用化されるまでに分数を使い始めてから数千年かかったのです。

分数はそのまま比を表しますから
(有理数とは本来は比であらわすことができる数を指します)
分数に出来るということは割り切れる事を意味します。
「1/3は割り切れないだろう」という人もいるかもしれませんが
これは数の表し方のせいであってわりきれていないわけではありません。
(普通は極限という考え方で説明しますが)
割り切れない分数は小数にすると「循環小数」といってあるところから繰り返しになり無限にならびます。
(1/3 → 0.333・・・ 、1/7 → 0.142857142857・・・ というふうに)
これは記数法(二進法や十進法といったもの)を変えれば割り切ることができます。

自然数、整数、有理数までは直感や経験で理解することが出来ます。
実際、古代ギリシア人はメソポタミア・エジプトの経験から生まれた計算技術を
数学という学問にまで高めました。
その後1500年以上にわたって
いや、現在でも影響を与え続けています。
現在でも幾何学はエウクレイデス(ユークリッド)の「原論」から始まります。

しかし
無理数や虚数となると人間の直感を越えてしまいます。
古代の人間が拒否したのも当然と言えます。
現在でも普通の人なら
教科書に書いてあるから正しいのだろうが
本当か?と思うのが自然でしょう。
「背理法」での無理数の証明なんて何だかだまされたような気がします。
(背理法の意味を知るためには基礎論理学(演繹)の素養が必要なのです)

先を進めましょう。
④実数(real number 無理数と有理数を合わせたもの)
実数とは実際に大きさを決めることができる数(虚数に対して)を指します。
これは無理数と有理数を合わせたものです。

「無理数(irrational number)」とはもともとは比で表すことができない数を指します。
√2 や √3 なんかがそうです。
普通は割り切れない数という理解でかまわないと思います。
無理数は規則性がない数字が無限に並び、循環小数になることもありません。
だから
どんな方法をとっても割り切れることはありません。
実際の無理数は√で示された割り切れない数やπ(円周率)といったものがあります。

無理数が発見されたのは古代ギリシアの時代です。
よく知られているように最初は邪魔にされました。
古代ギリシア人にとっては割り切れないと言うことは美しくなかったのです。

それが近代になって物理学や工学で二次(以上の)方程式を解く必要から広く使われるようになります。
(二次方程式を計算するとxの解が普通に無理数になります)

わたしは無理数を中学校で習ったときには何だかだまされたような気になりました。
高校で背理法で証明してもやはり腑に落ちません。
わたしが無理数について思ったことを書けば長くなりますでの機会を改めて書きます。

⑤複素数(complex number 虚数と実数をあわせたもの)
虚数は二乗すると-(マイナス)になる数として定義されます。
二次以上の方程式を解くとxの解が実数の範囲にないことが起きてしまいます。
これを虚数解といいます。
この虚数解を説明するための理屈が虚数だったのです。

実数までの数は数直線の上の点の位置で大小を示すことができます。
数直線というのは0を中心として右側に-、左側に+の無限の長さを取った線です。

(数直線を減点を中心に180°回転させるとプラスとマイナスが入れ替わります これがどんなことを意味するのか考えると大変の面白いのですがここでは置いておきましょう)

複素数はa、bを実数としてa+biの形(「i」は虚数単位)、実数+虚数の形で表されます。
(実数はb=0、虚数はa=0の場合を指す)

ところが虚数(二乗するとマイナスになる数)は数直線の上に点を取ることができません。
ですから、大小がないということになります。
これが虚数が値を取ることができないということです。
(このあたりの理屈はわからない人にはわからないのです)
それで、複素数を示したいときには「複素数平面」というグラフを使います。
実軸が数直線に当たります。
(グラフでは位置を表すためにx、yで示す)

高校数学では複素数平面が正課に取り上げられたり外されたりを繰り返されています。
大学入試の出題範囲と絡んできますから大変やっかいです。
きっと、これは物理学や工学との絡みによるものなのでしょう。
わたしから言わせれば日本の学校数学は数学ではなく
工学の奴隷です。
※工学の数学と教養(実用)の数学との違い 普通教育にとっての数学とは
https://ameblo.jp/otona-no-manabi/entry-12541462751.html

工学では数そのものの理解よりも計算に慣れること(問題が解けること)が優先されます。
わたしはこの問題は何を求めているのか(出題の意味)ということにこだわりがあったので
問題を解くことが苦手な中学・高校生でした。

非常におおざっぱすぎる話でしたが
数に対する考え方(概念)は計算とともに出来上がっていったことがわかると思います。
医療の学校の受験で必要な方程式を扱うためにはこれぐらいの知識でいいでしょう。

§2 数の表し方(記数法)と循環小数(割り切れない数)との関係

前回、有理数を取り上げました。
有理数は分かったようでよく分からないものです。

特に
分数では表せるのに小数では割り切れない数(循環小数)。
何で1/3が割り切れるのかなどという説明は
何かだまされているような気がします。
確かに分数で表せることが有理数の定義ですからそれで間違いないわけですが。
*循環小数 ・・・ある桁から先で同じ数字の列が無限に繰り返される小数

でも
これ(循環小数)は一見割り切れないように見えますが
実は数の書き表し方(記数法)の問題なのです。

記数法(数の書き表し方)は
われわれは十進数が当たり前だと思っていますが
少しでもコンピュータの知識がある人は
計算で二進法が使われていることは知っています。

二進法でも小数も扱うことが出来ます。
十進法では
0~9の数を使い
10になると繰り上がります
たとえば
「1236」は「1×10の3乗+2×10の2乗+3×10の1乗+6×1(=10の0乗)」 のことです。

逆に
小数点以下の場合は桁の取り方が
1/10、1/100、1/1000・・・ と言う風になっていきます。
「0.1236」は 1×1/10+2×1/100+3×1/1000+6×1/10000 のことです。
(1/10は10のマイナス1乗、1/100は10のマイナス2乗・・・)

同じように
二進数の場合は
0と1の数を使い
2になると桁が繰り上がります。
たとえば
「1011」は 「1×2の3乗+0×2の2乗+1×2の1乗+1×2の0乗(=1)」
10進法で表せば 1×8(→2の3乗)+0×4(→2の2乗)+1×2(→2の1乗)+1×1(→2の0乗)=11になります。

小数点以下の場合は
10進数では分母が1/10、1/100と10のn乗になっていきますが
2進数では1/2、1/4、1/8というふうに
分母が2のn乗になって数を表していきます。

2進数のマイナス1乗、マイナス2乗・・・ を十進法で換算すると
0.5、0.25、0.125、0.0625、0.03125・・・となります。

ここからが本題です。
たとえば
十進数0.3を二進数で表すとします
0.3=0.25+0.03125・・・ ですから
0.010011001100110011001100110011001100110011001100110011・・・
ご覧の通りに循環小数(小数点5桁以下1100の繰り返し)になります。

実は、小数点付きの十進数を二進数であらわした場合ほとんどの場合循環小数になります。

これから分かるように
循環小数は割り切れないのではなく記数法(数の表し方)のせいであると考えることができます。
だから
1/3も記数法を変えれば(3進法なら)割り切れる数となります。

§3 「率」ってどんなこと 「打率」は率なのか? 内包量と外延量

新コロナウイルス感染騒動の中で
やっとプロ野球も開幕しました。
野球は記録のスポーツであり
最多勝、勝率、安打数、打率などいろいろな数が出てきます。

今日は「率」の話を取り上げてみます。
本来数学で言う「率」というのは基準に対するある量の比を表すものを言います。
その時ごとに出たら目に変化するものは率とはいえません。

考えてみましょう。
年間の打率が3割のバッターが今日は4打席全くヒットがない
最終回の打席でランナーが出てワンヒットが出れば逆転勝利になる。
このときに
そのまま打たせるか
代打を出すかということです。

こんな時には
昔、バファロウズやブルーウエイブズで監督をした仰木さんは
五打席目にはヒットを打つ可能性が高くなると考える人でした。
それに対して今日は全く打てていないなら
勝つためには代打を出す方がいいと考える監督もいます。

なぜ
両者の考え方の違いが出てくるのでしょうか?
それは「打率」は数学でいうところの「率」ではないからです。
本来、同じ「率」であればすべての機会(「試行」といいます)ごとに同じ率で起きることが期待されます。

そもそも
同じ条件で繰り返されないものを率という考え方でとらえるのには無理があるのです。
だから
ばらつきはあってもいいのですが
全体で均すと同じ条件が成り立っていなければ「率」とはいえません。

このケースで代打を出そうと考える監督がいるのは
バッターの打席ごとの試行(打つこと)が同じ率で安打に結びつかないことを経験で知っているからです。

率ととらえれば
打率3割は平均10打数当たり3安打打つことを意味します。
確率で考えるならば
「大数の法則」が成り立つ(だいたい最低1000回ぐらい)回数が必要です。
ばらつきはあっても1000打数で300安打に近づいていくことを指します。
どちらにしても
昨日の試合では5打数3安打、今日の試合では5打数安打なしの繰り返しでは率でとらえることはできません。

また
仮に平均していても
シーズン前半戦は2割で後半戦が4割では(3割バッターであっても)確率3割のバッターとはいえません。

まあ、率のイメージとしては試合ごとに2安打の日と1安打の日があり
ごくまれに3安打と安打なしの日があるといった感じでしょうか。
いつもそれ以上にばらついていれば率とはいえません。

では
率を考えるためにもう少し突っ込んでみましょう。
「内包量」と「外延量」とは聞き慣れない言葉だと思います。
「内包」と「外延」は哲学・数学で使われる考え方です。
「内包」はあるものの内側にあるもの
「外延」はどんなものがあるかを示します

それぞれものの性質と量を表す言葉です。
これだけでは分かりにくいので例で示しましょう。

「内包量」とは温度や速度のように、そのまま加え合わせても意味のない量を指します。
50℃の水と30℃の水を加えても80℃にはなりません。
それに対して
「外延量」は質量・長さ・体積などの同じ種類で加え合わせることのできる量を指します。
1mの棒を2本つなぎ合わせれば2mになります。
同じように表される数であっても性質と量という違いがあるのです。

ですから
内包量は大きさよりも性質をとらえるための考え方といっていいでしょう。
ただ、数で大小をとらえることができるので量というとらえ方をするのだと思います。

「率」は数の「性質」を表すものですから
多少の幅はあっても滑らかに変化しながら一定の幅の値を取るものを指します。
その点では「打率」「勝率」と比べると「安打数」「勝数」は大変わかりやすいですね。

同じ数で表されるのに
その実、表しているものが違う
このあたりに数が一筋縄ではいかないことを感じます。
数の概念とはなんとも複雑なものです。

そして、この「率=性質」ということの不思議さには
掛けるとは何か、割るとはどんなことかがかかわってくるのです。

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