AI(人工知能)を使った学習の現在と未来 

#1 ICT(情報通信技術)を使った教育の条件とは

新コロナウイルスの流行のため休校が続く教育の現場ではオンライン学習への転換を迫られています。

注目されるのがAI(人工知能)を利用した教材の活用です。

AIが一人ひとりの生徒に合った学習内容を選んでくれるもので

すでに学習塾や一部の学校で使われています。

(公立小中学校でも使われているところがあるようです)

わたしもICTを母親ひとり親が自宅での受験トレーニングで使う必要も考えています。

(それでもスクーリングは必要だと思っていますが)

まず

今回は、実際におこなわれているAIを利用した教材と実際に使われた反応のレポートがありますので紹介します。

また

次回は、AI学習についての考え方と評価を取り上げます。

その一例として抄録ですが系統的なレポートが手に入った「株式会社すららネット」が提供する教育システム「すらら」を取りあげます。

よく内容を読んでもらえばこれは「教材」ではなく「教育システム」であることが理解してもらえると思います。

※『「AI サポーター」を活用した自発的学習の促進(抄録)』

株式会社すららネット亀田久雄

レポートの論点は次の2点です。

①いま現在,教育の現場において,どの程度“AI”の技術は実用段階にあるのだろうか。

②“AI” の介入により変化しつつある環境に対して,子どもたちはどのような反応を示しているのだろうか。

レポートでは『教育システム「すらら」』に

①コーチング:いつどこまでの学習をするのか,つまずいているところはないか等の確認と,具体的な学習の設計

②モチベーティング:生徒へのモチベーションを保つ・興すような声掛け

の二つを求めています。

この二つをクリアするために

『教育システム「すらら」』は『教材「すらら」』と『AIサポーター』とを合わせたものとして作られています。

まず

『教材「すらら」』は

生徒ごとに出題する問題の難易度調整を行ったり

生徒の回答結果から苦手部分を分析・特定し,最適化された学習箇所を提示したり

といったことができます。

これはAIが一番得意とするところで

人と違って感情や思い込みが入らないだけ分だけ有効だと考えられます。

(でも、これだけなら現在のAI技術としては当たり前のことです)

これが「すらら」の基本部分です。

さらに

『AIサポーター』は『教材「すらら」』に加えて

実際に教師が教場で生徒に対して行っていることと似通ったものになるように

AI技術を使って対面学習と同じ効果を求めたものです。

一般的に、オンライン学習ではモチベーションを保つのがむずかしく

人間と対面する機会も取り入れたほうが効率的であることがわかっています。

しかし、リアルタイムで現場の教員が十分なフォローを行う事ができない状況も多くあります。

「不登校生徒への対応」などがその例として挙げられます。

こうした対人的なケアの役割を補助するものとして

企画・開発されたのが「AIサポーター」です。

チャットポッドのRepl-AIの機能を使って

生徒の返答・雑談に柔軟に対応できる会話ボット機能を利用しています。

実際に教場でフォローする生徒に対して行っていることと似通ったものになるよう設計されています。

報告者は次のような話しで締めくくっています。

「いま,教育業界では,教員・指導員の不足や,生徒の学力の格差など,さまざまな課題があり,こうした「すらら」+「AI サポーター」など,“AI” を含んだ技術的な解決は今後も望まれるだろう。現在は,こうした技術があったとしても,先生によるフォローや管理が不可欠だ。

しかし近い未来には,これが古い常識となる可能性は否定できない。」

#2 ICT(情報通信技術)を使った教育の条件とは

では、前回取り上げたレポートの流れにそって

ICTを使った教育を考えていきます。

※「AI(人工知能)を使った学習の現在と未来」

※レポート『「AI サポーター」を活用した自発的学習の促進(抄録)』

今回は『教育システム「すらら」』が目的にしている「自発的学習の促進」の二つの具体的な方法のうちの①を取り上げます。

(ここでは「すらら」の評価というよりも

レポートが手に入ったので

言ってみれば代表として取り上げています)

①コーチング

・いつどこまでの学習をするのか

・つまずいているところはないかの確認

・具体的な学習の設計

コーチング内容はそのまま「プログラム学習」がAI化されたものとなっていると考えられます。

原理と設計方法を知りたい人は次の記事をどうぞ。

※「《学びの紹介》自分のペースで学ぶ 仲松庸次さんのプログラム学習」

※「《学びの紹介》補習塾と進学塾を同時に 仲松庸次さんのプログラム学習」

実はかなり研究が進んでいる分野であることはわかってもらえたと思います。

ですから

将来、競争が進めば各社ともプログラムの性能はあまり違いはなくなると思います。

確かにAIでの学習は効果的です。

子どもが訓練を受ける意志さえあれば効果が上がっていることはデータからはっきりしています。

(この点は次ほど取り上げます)

しかし

AIでの学習はAIが勝手にメニューを考えるわけではありませんから

何を教えるかという

人の設計にしたがって

AIは個人用メニューをつくっていくだけです。

ですから

学校教育の中心が試験合格を目指すかぎり

現在のAI学習が求めるのは問題を解く能力を上げる方向です。

しかも

これはAIというしくみの性質とは相性がいいのです。

でも

ここには大きな落とし穴があります。

個人攻撃をするわけではありませんが

わたしが高校一年のときの物理の教員はまったく物理がわからないか

それとも、物理学を教える気がなかった人でした。

ですから

毎回の授業が教科書の計算問題を解くことで

結局

物理学とは何かということは全く分かりませんでした

計算問題を解いても何をやっているかは全くわかりませんでした。

(東京大学に入学した友だちは授業時間中の自学自習で分かったようですが)

でも

わたしは理科が不得意だったわけでもなく

化学では授業を聞いているだけで復習なしで高得点が取れていたのですから。

(化学の教員は概念をきちんと教えてくれる人でした)

そうです

現在のAI学習が解法を優先すれば

問題は解けても何をやっているのかわからないということになるかもしれません。

問題を解く(質問に答えること)と概念を知ることが一致する必要があります。

(話は矛盾しますが「English」では

普通教育に限れば

理屈は分からなくても使えればいいと考えも間違っていないと思います。

「言葉で学ぶ」のではなく「言葉を使う」だけのレベルであれば

「言語とは習慣」ですから)

※「目的のはっきりしない外国語学習はありえません」

わたしは普通教育の基本は

「観念」を「概念」に高めることだと考えています。

「観念」と各個人がバラバラにもっている考えです。

「概念」とは「観念」を社会全体の共通のものに高めたものです。

「観念」を持つことではじめて言葉は共通のものになります。

普通教育とは同じ言葉で話すための訓練なのです。

※「「理解は誤解」やっかいなことです 理解するとは1」

普通教育で必要な知識とは

「観念」を「概念」に高めるために必要な基本知識で

知識の量が多いのがよい教育というわけではありません。

そこでは

問題が解けたから分かったという発想が危険であることがわかってもらえたでしょうか。

ただし

教育用AIが企業で開発されていることは大変よいことだと思っています。

今までのように限られた力で教師が教材を作っていくのは無理があります。

それと比べると

企業がモノや金、マンパワーを使って

よりシステマチックにシステムを開発をしていくのは

方向が正しければ

子ども(オトナも)が学ぶためにはよいことです。

ただし

AI学習が学校教育、または学校教育に変わるものとなるならば

そこには致命的な問題点があります。

そうです

子どもにも意志があるということです。

教育が「侵襲行為」である限り

「自発」と「強制」の問題はどこまでもついて回ります。

#3 ICT(情報通信技術)を使った教育の条件とは

今回は『教育システム「すらら」』が目的にしている「自発的学習の促進」の二つの具体的な方法のうちの②を取り上げます。

(ここでは「すらら」の評価というよりも

レポートが手に入ったので

言ってみれば代表として取り上げています)

※レポート『「AI サポーター」を活用した自発的学習の促進(抄録)』

②モチベーティング(動機付け)

生徒へのモチベーションを保つ・興すような声掛け

生徒への声かけは「すらら」の中に搭載された機能である「AI サポーター」が個々の生徒の学習努力に対して声掛け、生徒との会話のやり取りを行います。

それによって

ログイン回数や学習意欲の向上・学習習慣を定着させることを目的としています。

具体的には,

・「すらら」へのログイン回数・頻度,その変動

・「すらら」の学習時間・学習量や,正答率など,またはそれらの変動

・苦手分野を発見した際,それを克服するような学習行動ができたか

などのデータを拾うことができます。

(「AI サポーター」はチャットポッドのRepl-AIの機能を使っています)

現在の教師一人がたくさんの生徒を相手にする授業と比べればAIが一人一人の相手をするのは決して悪くはないと思います。

ただ、レポートでは

「相手が人間ではないからと言う通りにしない」子もいるようです。

AIと人間のかかわりとはむずかしいものです。

発想としてゲームの延長として学習を考えるのは悪くはないのですが

教育として考える時に

必ず押さえないといけないところがあります。

これは教育の根本でもあることです。

教育と強制の関係です。

※「興味関心を強いられる子供たち~教育とは子どもの肉体・精神に干渉することです~」

AIでの声かけは見方を変えれば監視ということになります。

「相手が人間ではないからと言う通りにしない」というのは

まさにその子がこのことに無意識・意識的に気づいているからだと言えるでしょう。

現職のときのわたしの勤務した学校の現状は

授業に集中できない子が普通にいました。

何人かいた優等生型の子でも途中で息切れする子がいました。

こんな子たちがAIを相手に勉強できるのでしょうか。

AIでのプログラム学習は言ってみれば学習のゲーム化ということです。

確かによいゲームはよい訓練になります。

でも

学習をゲームにすれば解決するのか?

なぜ、子どもたちはゲームに熱中しても授業に熱中しないか考えてください。

(ゲームだってすべての子どもが熱中しているわけではありません

よくできたゲームはたいていの授業よりも取り付きやすいだけなのです)

仮に教材がよくできている、おもしろいとしても

それは子どもが学ぶ手助けになっても

教育がもっている強制という本質から逃れることはできません。

ただし

わたしは強制だから悪いという考え方は全くしてませんよ。

強制には必要がある強制と

必要の無い強制があるだけです。

結局

学校という強制を含んだ場(ホームスクーリングでも同じですが)で

人が人の相手をしなくてはならないのは

強制を意味のあるものにするか

意味の無いものにするかは

やはり人としての力量によるところが大きいからでしょう。

もともと

興味のままでは学問になりません。

趣味としての「もの知り」は否定しませんが

学問としては「もの知り」は無意味です。

もともと

基礎をつけずに自主学習などできるはずはありません。

実際に役立つレベルの学びとなれば

基礎ができるまでかなりの忍耐が必要です。

人の自然状態からすると学びの90何%は忍耐の訓練といってもいいのかもしれません。

どの教育システムもそのことから目をそらすことはできません。

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