《書評》『視写の教育(池田久美子)』 読み書き教育は“からだ”を育てることなしにはあり得ない

もともと視写は小学生向けに使われている方法で、ある程度実績もあります。
今までの視写は小学生を相手にした。いってみれば「慣し」の訓練法という考えでした。
それを池田さんは大学生を相手にすることで一般的な訓練法まで発展させたわけです。

さすがに池田式視写は大学生を相手にしていますから、このまま子どもに使えるわけではありませんが。
今までよくやられていた本文写しとは全く質が違うことは理解してもらう必要があります。

池田さんが主張する「視写」とは?
池田さんは言う『「視写は、読み書きする〈からだ〉を育てる」と著者は言う。文を書けないのは「字を書く〈からだ〉が出来ていない」ためだ。正しく視写するためには、まず字を書くための体の使い方、意識が必要になる。それを繰り返すことで文を書くための心身全体の「回路」が整っていく。だから視写は、読み書きをする「システムとしての〈からだ〉を育てる」ための「体育」である』と。

「体育」だから手順も具体的かつ実用的である。必ず手書きで視写する。相当の期間と分量とを要する(本書の場合、毎日一定時間を使い、四か月弱かけて四百字詰め原稿用紙約百十枚を視写する)。一字一字を、正確な点画で、一定の濃さで、原稿用紙のマス目いっぱいに大きく書く。一字一句間違いのないように、正確に書き写す。写し間違いは赤で修正して跡を残すなど やり方も厳しく指定されている。
学生は他人の文章をその通りに書き写し、一点一画、一字一字を意識する。学生に書き変える自由はない。この不自由が学生に語の異同の差を意識させる。それを意識することで学生は語が選択されていることに気づく。そこから文章の書き手との論争をするに到る。』

人間の能力の基礎が言語であることを考えると、
正しく行った視写は認知能力を上げるのに効果があると考えられます。

そして、限っている分だけやることをより単純にできます。
もともと視写は小学生向けに使われていた方法なので、
認知能力が不十分な子たちの訓練に役立つしくみを作ることができると思います。

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